やくたたずの恋
「よし。そこに立ってみろ」
 ゆっくりと立ち上がった雛子の前で、恭平は直立する。わざとらしく畏まった表情を作り、胸に手を当てて頭を下げた。
「お嬢さん、どうぞ一曲お願いできませんか?」
 英国紳士か、はたまた学級委員か。恭平には似合わない、生真面目な声色だ。雛子は笑いながら、「はい」と頷く。
 恭平は雛子の手を取り、部屋の空いているスペースと誘い出す。右手で彼女をホールドし、体で空気を掻き混ぜ始めた。
 瞬間、メロディのないワルツが、雛子の頭の中に響き出す。ワン・ツー・スリー。カウントと共に恭平が優しく手を引けば、雛子の体も緩やかに漂う。
 雛子の歩幅に合わせた優しいリード。ヤニを撒き散らすおっさんとは思えない、優雅な足の運び。一踏み足を動かすごとに、事務室が白亜の宮殿へと近づいていく。
 ソファやデスクを避け、くるりと回転。その拍子に恭平の胸から体温が伝わり、雛子の周りに花々を開かせた。大きな薔薇がもったいぶりながら花弁を持ち上げれば、濃厚な香りが立ち込め、目に映る景色を全て塗り替える。
 ここは舞踏会場で、おっさんの恭平はいない。王子様としての恭平が、逞しさの輝きを放っている。影山社長に渡された写真の中にいた、若い頃の恭平だ。そしてこれが、志帆が見ていた彼の姿なのだ。
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