やくたたずの恋
35.恋を、終わらせよう。(前編)
 恭平にも、海の音は聞こえていた。滲むように、じわじわと近づく波音。強弱を繰り返すその狭間には、志帆の泣き声も混じっていた。
「どうしようもないの! だって……私があの人と結婚しなかったら、みんな不幸になるんだもの! 他に何の方法があるって言うの!?」
 星野との縁談を決められ、絶望の淵に追いやられた志帆。彼女を何とか救おうと、何度父に頭を下げただろう。だが全ては無駄に終わり、ついには父に食ってかかっていた。
「ふざけんなよ、親父! どういうつもりだよ! 志帆を売るようなマネしやがって!」
 苛立ちから父の胸倉を掴み、壁に叩きつけた。ゴムボールに似た、丸い父の体は、恭平の非難などものともしない。この世の後ろ暗い部分を息子に教え込むかのように、父は冷めた目を恭平へと向けていた。
「うるせぇ! そうやって、俺たちはメシを食ってんだよ! お前がこれまで贅沢できたのは、そういう人間たちの血と汗のお陰ってことだ! 影山興業の跡取りのくせに、たかが女一人のことで惑わされてんじゃねぇ!」
 父にそう言われたあの時、決めたのだ。もうあの影山の家にいることはできないと。人を不幸にしてまで、自分が生きる必要はあるのか? 答えは「NO」だ。決して誰も、不幸にはしたくない。
 だから、この腕の中にいる女とは、結婚できるはずもない。それは彼女が他の男のものになる、ということだ。
< 377 / 464 >

この作品をシェア

pagetop