いろんなお話たち
ドジっ子侍女っ子
ばしゃあ。
今し方磨いたばかりの床にひっくり返されたバケツの中身が広がる。
それを高笑いしながらドレス姿の女性が数人、避けるようにして蹲る人影の横を歩いていく。
清掃婦に身を包む少女は、ただ黙って拳を握りしめる。
小刻みに震える肩。
一筋の涙が、頬を伝った。

「アイリス! またお前が最後ですよ」
執事長(女性の)にため息交じりに言われ、もう何度も繰り返した謝罪と同時に頭を下げる。
まさか宮廷の女性達にイジワルされてるなんて、言える訳ないしなぁ……。
「本当、鈍臭くて自分でもヤになっちゃいます。ですが、そのおかげで一回目よりも綺麗になりましたよ!」
後頭部を掻きながら言うと、「笑って言うことじゃないでしょう!」とちっちゃな雷が落ちる。
「全くもうっ……次は3階の部屋です。騎士達が泊る大事な部屋ですからね、くれぐれも時間をとらせないように」
「はい!」
ぴしっと敬礼し、横にあったバケツ・箒・雑巾の掃除用具を手に持った。

かつて私がいた国は、中立を誓っておいたはずなのに、とある両国の戦争に巻き添えをくらい、戦っていた国共々、滅ぼされた。
家族はもちろん親戚ともバラバラ。
一人旅を続ける中、今の城で従業員募集との広告を見つけて、3か月前からこの城で住み込みとして働いてる。
仕事内容は掃除全般。
食事を運んだりするのは給仕の人が、それに夜の仕事も別の使用人がいるらしく、……特に後者の役は回ってこないから今のところ助かってる。
女のいじめほど陰湿なものはないけど、男の人の相手するよりは……。
3階はまるごと騎士や傭兵の人達の部屋となっていて、大部屋もあれば一人ひとりの個室が設けられている部屋もある。
言わずもがな個室は位が高い人の部屋なのだろう。
同じメイド仲間の子と相談して、今日私は個室を担当することになった。
もともと城の部屋を使うお偉いさんは少なく、しかも今は昼間だから留守がほとんど。
言うなればラクなのだけれど、手抜きは厳禁。
でも時間かけてやってたらまた遅くなって怒られるから、手短に素早くサッと……。
ノブにリボンが巻かれたドアの前に立つ。
「(うーん、まぁ端から…この部屋からでいいかしら)失礼しまぁす。お部屋の清掃に来ましたぁ」
無言とはわかってても、一応入る前にノックして一言申し上げるのがマ
「おう、いいぜー入ってくれ」
……ん!?
まさか応答があるとは思わなかった私は中から聴こえた声にぴしりと固まった。
「しっ失礼しました。またあとで来ますね」
戦争と言うのを目の当たりにしたせいか、兵隊さん自体がほんの少し苦手だ。
ドアの向こうに声をかけ、くるりと足の向きを変える。
ところが私が歩きだすよりも前にドアがぱっと開き、
「なんだよ遠慮すんなって。いいから入れ入れ」
そう言うとともに、体格のいいひげのおじさんは私の腕を強く引いた。
ぱたむ、と背中でドアが閉まる。
近づいた時に感じたお酒の匂い。
……この人酔ってる!
はっとテーブルを見ると空き瓶が2・3本その上に置かれてる。
うぅ…お酒呑んだ人かぁ……ちょっと厄介、
「ぃっ!?」
肩にずしりと重みが乗って、見れば片腕が肩に乗ってた。
「お嬢ちゃん可愛いなぁ、いくつだ?」
「じゅ…18です…」
「ほぉ~…」
「あ、あの私部屋の掃除に来ただけなので……」
なんとなく嫌な予感がしておじさんから離れようとする。
掃除用具を持ったままだと無理なのでいったん床に置いた。
それがまずかった。
「きゃぁ!?」
いきなり胴体に太い片腕が回ってきて、かと思ったら体が浮遊した。
視界が流れていき、やがてぱっと解放される。
痛みがくるかと思ったらこない。
それどころか柔らかな感触が体を包んでる。
呆然としていると、
「なぁ嬢ちゃん、少し、暑くねぇか?」
徐に男性が軍服を脱ぎだした。
とても手早い動作で下着姿になると、何やらこちらに近づいてくる。
柔らかいクッションに手をつき後退する――そうか、今私はベッドの上に…!
肌が粟立ち寒気が体中を駆け巡る。
逃げなきゃ、逃げなきゃ。
思ってたら背中に硬い感触が当たった。
壁。
「やっ、やめて下さい。私、確かに使用人の立場でございますが軍人様の伽を仰せつかっては――」
「使用人ならば主の命に従うのが性分だろーが。それともなんだ? 嬢ちゃん、ここを辞めて他に行き場はあるのか?」
「っ――…!」
覆い被さるように迫ってくる。
ああ、もうだめ、穢されてしまう。
きつく閉じた目尻から涙が一つ零れ落ちる。
ごめんなさいお母様。
父様も……どうか許して。
本当の恋も出来ないまま、私は、
「少将!」
突然聴こえた怒鳴り声にはっと目を開けると、男の人が腕を広げたまま硬直してた。
「具合が悪いから休ませてくれと言いながらあなたは一体、何をしているんだ!」
ぎこちない人形のような動作で男の人が振り返る。
そしてすぐに深々と平伏した。
「申し訳御座いません、タルート様!!」
「……謝るのはわたしではないだろう」
「そ、そうでしたそうでした! お嬢ちゃん、すまねえな。ほんっっとっ、申し訳ない!」
何度も頭を下げる男の人は、もう欲に駆られた眼はしていなくてその顔は真っ青だった。
ぎこちなく男性を叱咤する人物の方に目線を向けると、若い軍人さんが呆れた眼差しをしている。
胸ポケットに重たく下がる幾つもの勲章から、お偉いさんなのだということが解る。
「…それと少将、早く身なりを整えてくれ。隊長があんたを呼んでる」
私の視線でもういいと悟ったのかため息交じりに彼が言うと、バッと男性は顔を上げ脱いだ時同様ものの数秒で軍服を着て、
「そいじゃ、失礼しました! お嬢ちゃん、ほんとにごめんな!」
と私にもう一度侘びて、慌ただしくドアを開け閉めして部屋を出て行った。
「………」
「………」
そして、沈黙が訪れる。
この若い軍人さん、勘違いでなければ宮廷の貴婦人達に囲まれてる姿をよく見るような……。
「助けて頂きどうもありがとうございました」
視線が合ってすぐ、整った顔立ちを凝視できないのもあって頭を下げると、彼は何も言わずに背を向けた。
そのまま眺めていると、テーブルの所まで行き空き瓶を…ああ!
「わっ私が片付けますのでどうかそのままで…!」
躓きそうになりながらベッドを下りテーブルへ向かう。
隣へ行き手を差し出したが、軍人さんはその綺麗な目で私を一瞥すると。
「この部屋には誰も入れるなと言ってある筈だが。わたしは身の回りのことは全て自分でしている。お前は次の仕事に行くといい」
「えっ、…あっ…」
軍人さんの中には過度に人との接触を嫌い、自分のテリトリーを侵されるのが嫌いな人もいる。
ノブにリボンが巻かれてあったのはもしかしてそういう意味?
そういえば執事長が、清掃が不要な部屋には事前に判るようしておいたとかなんとか言っていたような……。
自分の失態にサッと血の気が引いていく。
また報告されたらまずい…!
「ご、ごめんなさい! 失礼します……!」
頭を下げる間も惜しんで掃除用具を取りに行く。
そしてドアを開けて部屋に向かい頭を下げてから、廊下に出た。
うぅ……あの人、執事長に報告しないといいな……。
立ち入り禁止の部屋に入ったんだもの、襲われたのもある意味自業自得? になるよね……。

「ちょっと、そこの雑巾!!」
いつもの嫌みを無視していたら、廊下に響いたその声に体がピキリと固まった。
ぞっ…雑巾ですって……!?
キッと睨みつけたいと思いつつも、向こうはお嬢様。
手にしていた雑巾を床に叩きつけたい衝動を抑えて、「…はい」と返事をし足元に行く。
見せつけるように片足を上げる女性。
その足首の辺りからストッキングの色が変わっていて、靴の先からは濁り水が雫となり滴っている。
「あんたがバケツの水をばらまいたせいでこんなになっちゃったじゃない。どうしてくれるの」
発言の通り、私達のすぐ横には転がるバケツが。
そしてその中の液体はからに近くて、つまり色が変わってる絨毯が全て飲みましたよと無言で告げていて。
モップで拭いたあとの床を丁寧に拭いてたから気付かなかったけど、ガランという音と次いでボチャンと音がした。
はっと振り返ると置きかけにしていたバケツが転がってお嬢様がこちらを蛇のごとくきつーく睨んでいた。
自らバケツに足を入れたのは言うまでもないだろう。
このお嬢様はイジワルしてくる人の中でも陰湿ランキングの上位には必ず入る。
何を思おうが、例えば目つきを変えるだけでも人生の天秤が大きく揺れるのだ。
ひたすら謙虚に無心に生きなければならない。
ただ大人しくしていればいい。
同性だからこの間のようなこともないだろうし。
「申し訳御座いません。ただいま、お拭き致しますので」
深々と床に両手をついた後で、雑巾を持った手を近づけ、
「そのボロで拭く気!? 新しいのを用意なさいっ。常識でしょう!?」
こめかみを浮かべる形相で女性は私の手を払った。
よりによって足払いで、だ。
女性としてその言動はどうなのか、と思いつつも再び頭を下げてから立ちあがる。
踵を返そうとして思い至った。
新しいのを取りに行って戻ったら彼女を待たせることになるのでは。
するとますます私はこの人の怒りを買ってしまう。
「どうしたんだい?」
逡巡していると、男性の声がした。
私はその声に振り向きはしなかったが、女性の顔がはっと変わる。
途端に甘い声を上げて男性の下へすり寄る。
私の横を通る際睨むのを忘れずに。
一連の出来事を私への小言をプラス足してひとしきり言うと、男性はわかった、と言って。
「つまり、君の足元が元通り綺麗になるといいんだね」
背中で聞いていたやり取りだからわからないけど、男性は魔法か何か使ったらしく。
女性が偉く感嘆の声をあげ何度も謝辞を繰り返していた。
名前は、と尋ねると名乗るほどの者ではないと男性は返す。
何やら衣装まるごと替えてもらったのか、すっかり上機嫌になった女性は男性へ挨拶をすると鼻歌交じりに去ってしまった。
……助かった……。
ほっとしたのもつかの間、掃除用具一切手に持ち横にずれて男性の通り道を作ると、
「大変だったね。君、大丈夫かい?」
なんと男性がこちらへ歩み寄ってきた…!
小間使いという名目上、顔を上げられずにいると、
「もうここの仕事は終わったのかな。出来たらお茶でも頂けると有難いんだけど」
「え」
顔を上げると、見たことのない服を着ていた。
ここの軍服じゃない。
……もしかして、お客様?
「ん?」
「あっ、はいっ、すぐにお持ちします…!」

「いやー、ありがとう。ここまで案内してもらったのはいいんだけどさ、そのまま彼、どっか行っちゃって」
言って頭をかいた男性は、ありがとうと言うとテーブルの上に置いたカップを手に持った。
「んで、呼び戻すのにこんなに時間かかるかフツー?」
呆れたように嘆息しながら顔に不思議な模様のある(化粧…?)少し汚れた身なりの男性が横でカップを手に取る。
二人の前にそれぞれカップを置いて一礼した私は、盆を胸に抱え直した。
「まぁまぁジャック。おかげでこんな可愛いお嬢さんに会えたんだし」
ね? とこちらを向いて片目をつぶる男性にぽっと頬が熱くなる。
あのいじわるな人が一瞬で態度変えたのも納得する……この人、なんて素敵な人なんだろう……。
一瞬、その笑顔にタルート様が重なって見えた。
あの人にはあれ以来会ってない、それどころか笑顔はもちろん見たことなんてないのに。
どうしてかな。
どこか、雰囲気が似ているせいかな?
「このタラシが…」
「あ、あのっお飲み物だけで本当に宜しかったのでしょうか? 何か焼き菓子などは……」
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