Under The Darkness





「京介君っ」


 私はこっちこっち、と大きく手を振り上げて居場所を知らせる。


「美里さん、早いですね。もう着いていたんですか」


「ごめんね、学校と仕事、両方あったのに来てもらって」


「ああ、そんなのは別にいいんですよ」


 外面のいい優等生な笑顔。

 私はしらける顔でそれを見ていたんだけど。

 京介君の背後で黄色い歓声が上がった。

 その先を追うと、女子大生くらいのグループがいた。



「あーあ。あっこのお姉様方、熱い視線で京介君見てるし。アホやなあ。みーんなこの完璧な外面に、面白いほどコロコロ騙されて」


 彼女たちを眺める私の目が胡乱に煙る。


「最初から見抜いたのは、貴女だけでしたからね」


 京介君は嗤いを噛み殺しながら、仮面を剥がし、人の悪い素の笑みを浮かべる。

 私はふふっと笑った。


「当たり前やん。私の趣味は人間観察やから。私の観察眼は完璧やねんで?」


「そうですね、参りました」


 クスクス笑う京介君に、私は斜めがけをした大きなカバンの中をゴソゴソ探る。

 そして、京介君に渡そうと思っていたものを、彼に「はい」と手渡した。



「悠宇来る前に渡しとくわ。悠宇に見つかったらオレも撮ってくれってうるさいから」


 京介君はそのB5サイズの茶封筒を受け取ると、裏表確認しながら、


「なんですか?」


 と、不思議そうな顔で問う。


「見て見て! 私の自信作やねん」


 そう言って、私はワクワクしながら京介君を見つめる。

 京介君は封筒を開けると、中に入っていた一枚の写真を取り出した。


「……これって」


「じゃーん! これがアンタや、京介君」


 京介君を撮った写真。

 たった一枚の写真だけど、京介君の本当の姿。


「おう、よく撮れてんじゃん」


 ひょいっと顔を覗かせた金城さんが、写真を見て大きく頷く。

 憧れの金城さんに褒めてもらった私は、テレテレと髪先を弄くりながら俯いてしまう。



「ふうん、馬淵のボンはそんな優しい顔するんだ」


 金城さんは意外だな。そう言って皮肉げな顔を綻ばせた。

 普段は取り繕った好青年風な仮面しか見せない京介君。

 でも、その写真に映し出されていたものは、仮面を外した素のままの京介君だった。

 優しい視線をこちらに向けて、少し照れたように……暖かい表情で微笑む、京介君の姿が映し出されていた。


 ――他人には決して見せない顔。私にだけしか見せない、真実の姿。


「貴女、この写真を取るために、入院の間中ずっと私を追い掛け回していたんですね」


「せや! なかなか見せてくれへんからな、こんな顔」


「……ありがとうございます。貴女は私のこと、ちゃんと見ていてくれているんですね」


「せやで。私はちゃんと見てる。嘘とちゃうホンマの京介君を。忘れたらあかんで。これがホンマの京介君なんや。私がおらんから言うて、嘘の仮面つけすぎて、京介君がホンマの姿忘れんように、これ渡そう思ってな」


 私は笑って、京介君を見上げた。



「それとな、礼がいいたかったん。京介君は私のこと、ずっと守ってくれてたんやんな。敵対するやくざ達から私達母子の存在を隠すために、京介君がわざとソイツらの矢面に立って、私に降りかかるはずの危険を、代わりに全部かぶってくれてたんやろ? それこそ、気配を消すのがクセになってしまうくらい、沢山の危険から……。ずっと知らんで、ごめんな。ほんまにありがとう。感謝してる」


 それは、お父さんに聞いたことだった。

 私が何も知らず大阪にいた間、頻繁に大阪を訪れるお父さんの弱みがそこにあるんじゃないかって知られないように、京介君はわざと目立つ行動を取った。

 私に付きまとっていた男達の中に、敵対するヤクザも複数いたらしい。

 その男達が妙な動きを見せたら、その度に京介君は大阪へ来て、私の周りを彷徨《うろつ》く不審な輩を片っ端から叩き潰していたそうだ。

 私の近くにヤクザが介入していると察知すると、その組の人間に、京介君はわざとケンカを売らせる行動を取る。

 そして、完膚なきまでに叩きのめす。

 その後、自分は関東を統べる川口組魁龍会・馬淵周介の息子だと告げる。

 自分に喧嘩を売ると言うことは、関東の組織全てを敵に回すと言うことだと、正面切って戦争をしたそうだ。

 私とは無関係の所で、違う理由をこじつけて、私達母子に手を出そうとした組をぶっ潰す。

 私達母子を狙った組は、京介君が筆頭となり複数の組員達と共に潰しに掛かる。最終的に、公にならぬようお父さんが事後処理をする。

 容赦ない喧嘩殺法と、お父さんの力を手玉に取った策略から、ついたあだ名が『狂犬』。

 関東を統べる代紋頭・馬淵周介の懐刀、『狂犬』に睨まれたら組を潰される。

 お父さん同様、京介君も恐れの対象となった。


 それと。

 同時期、複数の女性と付き合い、私に決して目が向かないようにしていたのだともお父さんは話していた。

 それは少し腹が立ったけど。

 私がそう言うと、京介君の顔に驚愕が走った。


「……どうしてそれを……」


 その瞳は、何故知っているんだと、私に問う。

 そして、ハッとした顔で、「父さんか……!」と、鋭い舌打ちをもらした。


「京介君は、ホンマは優しいから。ずっと嘘吐かせて、辛い思いさせて、私、何も知らんくて、本当にごめん」


 すると京介君は、私を見つめたまま、ポロッと涙を零した。


「うわわ、な、泣くやつがあるか! ほら、もう皆来るで」


 私は突然のことにびっくりしてしまって、オロオロとしてしまう。


「……不意打ちは卑怯だ。我慢しているのに、このまま貴女を連れ去ってしまいたくなるじゃないですか……」


 そう言うと、クッと顔を上げ真剣な顔で私に告げた。


「いいですか。どれだけ時間が経とうとも、私の気持ちは決して変わりません。約束、忘れないで下さいね。帰ってきたら必ず伝えます。貴女が怯えてしまう、その言葉を。それまでに、覚悟決めてください」


 京介君は目尻を紅く染めたまま、ギュウッと私を抱きしめた。



「そうやな。京介君はしつこいから、気持ち、変わってへんねんやろな」


 私の心は強くそれを望んでいる。


 だけれども―――。


 変わって欲しいとも、望んでいる。


「当たり前です。帰ってきたらもう二度と離しません」


「恐いなあ。賢い犬はちゃんと日本で待っとってや?」


「私は狂犬と呼ばれているので、約束を忘れてしまって中国まで散歩に行くかも知れませんね。狂犬ゆえに、例外はお許し下さい」


 私は手を伸ばし、泣き笑いの微妙な顔をした京介君の頭をよしよしと撫でてやる。

 私が日本に戻ってきた時。

 きっと私、京介君の『告白』を聞くことはないんだろう。

 だってそれは、私が聞くべき言葉じゃないから。

 だから私は、ずっと京介君に言わせなかったんだ。

 京介君は自分の気持ちを、私がすでに気付いてるって知っている。


 でも――――もし、帰ってきた時に京介君の気持ちがまだ私にあるのなら。



 その時、私は、今まで不変のものだと信じていた常識を、全て捨てようと思っている。


『禁忌』を自ら受け入れる。


 今、この瞬間も、京介君がもうすでに、全て捨て去り受け入れているように、私も。


 一緒に歩いてゆくために――――。




 そして私は、京介君や悠宇、栞ちゃん。そして父さん達に見送られ、中国へと渡ったんだ。




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