明日、嫁に行きます!
 会場を出た私は、広い廊下を歩きながら、お父さんにメール入れようとカバンに手を突っ込んだ。
 探り当てたスマホを手に、「先に帰る」ってお父さんにメッセージを打ち込んでっと。

「よし。送信完了!」

 広いエントランスを通り過ぎ、入り口にいたベルボーイに挨拶を返しながらホテルを出ようとした時。
 私を呼ぶ声に、思わず振り返った。

 ――――げっ。

 駆け寄ってきたのは、あのいけ好かない眼鏡紳士。

「寧音さん、呼び止めてすまない。もっとちゃんとお礼が言いたくて」

 ……寧音さん? 

 ピクッとこめかみが引き攣った。

「祖母が本当に感謝していましてね。さっきの態度は僕が悪かった」

 そういって、彼は頭を下げた。
 あ、そういえばこの男の名前、聞いてなかった。
 まあ、関係ないか。聞いたってこの先会うこともないだろうし。

「いえ。ちょっと腹立ちましたけど、こちらこそ無礼な態度でごめんなさい」

 にっこり。
 皆に可愛いと言われてきた作り笑いを顔に浮かべて、「では、さよなら」と、足早にその場を立ち去ろうとする、私の腕がガシッと掴まれた。

「綺麗な笑顔ですね。……作り物じみて気に入らないが」

 皮肉げに唇を歪ませながら吐き捨てる男に、一瞬呆気にとられてしまった。
 そんなこと、初めて言われた。
 この作り物の笑顔を顔に貼り付けていたら、怒られたり叩かれたりすることもなかったから。
 平穏に過ごすため身につけた、私の唯一の鎧が『偽りの笑顔』。
 お前はただ何もせず笑っていたらいい。
 そう言われ続けてきたから。
 感情を殺して、ただ、笑っていた。
 それが気に入らないなんて、じゃあどうしろというのか。
 偽りでない本当の笑顔なんて、心を許した人にしか見せられない。
 あんたになんか絶対見せない。むっつりと剣呑に目を細め、男を見据えた。
 反発心と元来の負けん気がムクムクと込み上げてくる。

「なんで貴方に本当の笑顔見せなきゃならないんですか」

 そう言って、掴まれた腕を乱暴に振り払った。
 眼鏡の奥の双眸が、驚きで見開かれる。
 不機嫌さ全開な私を見て「毛を逆立てた猫みたい」そう言って男は苦笑した。
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