月夜のメティエ
「でも、あたしも月夜の方が好き」

 触りたかった。その手と指。奏真の来ているカーディガンの色は、赤。
 赤は止まれだ。何かの漫画でそう読んだし、信号機だってそうだ。

「奏真く……」

 触りたいと思っていたその手は、突然あたしの手を掴む。親指以外を4本、ぐっと。温かい手は、大きい。そして柔らかかった。

「綺麗な色」

 爪をちょんと触られて、そう言われた。それだけで涙が出そうになった。

「……離して」
「やだ」

 あたしの心臓は、胸から飛び出そうになってる。
 触りたくて我慢していた奏真は、向こうから壁を破って入ってきた。なんてことだ。あたしはそれに抵抗しなくちゃいけない。だって……。

「奏真くん……結婚するんでしょ?」

 何も無いなら。それなら、あたしだって。この人は、別な人と幸せになろうとしている。あたしは、ただの同級生。 

「懐かしいだけでしょ?」
「相田……」

 奏真はあたしの手を離さなかった。誰も居ない音楽教室。ここは中学校のイチオンでもなければ、あたし達は14歳の中学生でもない。もう体も心も大人になって、守るものも無くせないものもたくさんあって。

「あたし……」
「相田、俺」

 目が合った。揺れる奏真の視線。動けなくなる。

「俺の結婚は……」

 苦しさに歪んだ奏真の目が閉じられた。「ごめん」という声と同時に、彼が手を着いた鍵盤が、乱れた音を出した。そして、抱き寄せられる。

「そう、ま……く」
「ごめん」

 鼓動も乱れる。肩越しに教室の景色が見え、追って、奏真の匂い。息が、止まりそう。やめて、離して。なんで……どうしてこんな。

< 66 / 131 >

この作品をシェア

pagetop