月夜のメティエ
 美帆ちゃんは下を向いた。お腹を見ているのだろうか。胸がざわざわする。美帆ちゃんのお腹には、奏真の……。

「あたし、奏真のこと昔から知ってるんだけど、彼んとこのちょっと家庭の事情で、うちで面倒見てた時期もあるの」

「……」

 両親が離婚してる。そのあたりしかあたしは知らない。転校もそのせいだ。そうなのか、美帆ちゃんのところにお世話になってたこともあるのか。詳しくは聞いていなかった。美帆ちゃんの実家がピアノ教室だっていうのも関係してるのか……。

「あまり詳しくは話す必要ないと思うんだけど……奏真には、あたし達家族が必要だった。当時の話ね……でも」

 水の入った透明のカップに美帆ちゃんは手を添える。水面が揺れる。

「あたしとお腹の子には、奏真が必要なのかなって……」

 口の中の肉を噛む。そういうことだ。分かってたことじゃないか。

「妊娠が分かった時、ひとりで産もうって思ってた。でも、奏真が「俺が一緒になるよ」って言ってくれたんだ」

 店内の色々な音が一瞬で遠ざかる。もう、これ以上聞きたくない。

「奏真が好き?」

「……」

「ねぇ。朱理ちゃん、奏真のこと、好き?」

 責められているのか、わざとそう聞いているのか。彼女の綺麗な顔は、氷の様に冷たい。目を反らせない。もうあたしの冷たい背中は、凍ってひび割れている。

「……あの」

 あたしは震える唇でそう言った。

「あの、何も無いから。奏真くんと」

 美帆ちゃんは、同窓会の時より少しだけ髪が伸びたような気がする。ちょっとしか経っていないけれど。

「何も無いよ。同級生っていうか友達っていうか、そういう感じで飲みに行ったりしただけだから。心配しないで」

「朱理ちゃん」

「もう会わない。ごめんね迷惑かけて。何も無いんだ、本当。奏真くんから何聞いたか分からないけど」

 足が震えて、声も震えてしまう。愛想笑いも下手だし、嘘も下手だ。

「キス、したって言ってた」

 美帆ちゃんの声が耳を貫く。バカなことをした。目を閉じた。
 もう、奏真に触れてはいけない……。

「……ごめん」

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