今昔狐物語
「逃げるつもりかな?」
狐は何でもお見通しのようだ。
ちよは視線をそらし、無言を貫いた。
「俺は、お前を人間のもとへなど帰さぬぞ」
草の間を一歩ずつゆっくりと進みながら、言葉で獲物を威圧する。
「私は帰りたい…」
少女の小さな主張。
しかし彼は簡単に言ってのけるのだ。
「ちよが俺から離れたら、俺はまた村人を喰らうだろう。それでも良いなら行くがいい」
「卑怯者…」
「何と罵られようとも、俺はちよが欲しい」
獣の手がちよへと伸びる。
だが、その手はちよの黒髪の滑らかな質感を知る前にピタリと止まった。
「あなたはお兄ちゃんを食べた。だから…赦せない」
ちよの黒い瞳は、彼女の心を語っていた。
怒りでもない。
悲しみでもない。
嘆きですらない。
それは、虚無だった。