駅前ベーカリー
* * *

 最初は本当にちょっとしたご褒美として来ただけだった〝駅前のベーカリー〟
 それが気付けば理真にとっては大切な場所になっていた。それはパンが美味しいから、コーヒーにほっとするから…理由はもう、味だけではないと認めた方が自分に対して素直だ。

 運動会後から、理真と岡田の関係性になんら変化はない。ただ、理真が少しずつ緊張しないで話せるようになり、岡田に仕事の話もするようになり、帰りにばったり会ったりしてしまったときには岡田に家まで送ってもらったりもするようになった。
 …中学生か、と突っ込みをいれたくなるほどに健全な関係が続いていた。

 そして明日は2月14日、バレンタインデーである。

「…帰り、ばったり会ったら渡す。帰り、会ったら渡す。会いに行くなんてことはしない。」

 朝はもちろん足を運んだが、朝、あんなに多くの人がいる前で渡すのは気が引けた。そんな勇気は理真にはない。
 今日は寒波の影響で雪が降っている。冬でもこんなに降ることのない地方なのに今日のこの日を選んで降るということはホワイトクリスマスならぬホワイトバレンタインにでも神様はしたかったのだろうか。
 吐く息が白く染まる。ベーカリーを少し覗こうかとも思うが、朝から勤務に入っている岡田がこの時間までいるとは思えない。

「…寒過ぎる…手凍る…。」
「積雪33センチ、ここまでいくと笑えませんか?」
「っ…岡田、くん。」

 岡田が大学3年生であり、自分より2歳年下であることは7月くらいに知ったことだった。それ以降岡田さんではなく、岡田くんと呼んでいる。

「本当に滑りますね。理真さんはまだ滑ってないですか?」
「東北出身なんで雪には強いんです。」
「言ってましたね。僕は関東なので雪には不慣れです。っと。」

 不意に岡田の右足が滑り、岡田の持っていた袋から可愛らしい包みが落ちた。…そうか。今日はそういう日だったし、岡田に彼女がいてもおかしくはない。

「…可愛い、ラッピングですね。」

 声が震えた。渡す前に心が折れそうだ。いつから自分はこんなに恋に臆病になったのかと不思議になるくらいには足が竦んだ。
< 12 / 30 >

この作品をシェア

pagetop