アイスブルー(ヒカリのずっと前)
十
蝉が鳴いている。
風鈴の丸い透明なガラスの中で、小さな粒が揺れている。
焦げ茶色の、艶のある板張りの床に頬をつけていると、心臓の音が聞こえる。
とく
とく
とく。
鈴音はごろりと身体を仰向けにして、艶のない天井を見上げた。
「殺した」
拓海の声が頭の中で繰り返し再生される。
鈴音は手のひらで顔を覆った。
「大丈夫」
鈴音は小さな声でつぶやいた。
業者に工事再開の電話をかける気にならない。
台所は配管がむき出しのまま、放っておかれている。
鈴音はジーンズのポケットから紙切れを取り出した。
「子供の命日」
祖母の字。
きれいな字。
鈴音のかわりに、祖母は子供の死を悼んでいた。
拓海の倒れていた仏壇の前でこの紙切れを見つけたとき、鈴音は息が止まるかと思った。
このまま息をしないで、死んでしまえたらいいのにとさえ思った。
紙を持つ手が震える。
「僕を殺したでしょ?」
拓海の声が聞こえる。
「そんな馬鹿な」
鈴音は声に出して言う。
「あり得ない」
それでも鈴音は指を追って数えた。
「高校一年の十月。それから十ヶ月、そして産まれて……」
眉間に皺を寄せて考える。
計算はあってる、気がする。
「そんな馬鹿な」
鈴音はもう一度声に出した。
自分に言い聞かせるように、何度も「あり得ない」と繰り返した。
あれから拓海は来なくなった。
鈴音は身体を起こして、庭の門扉を見る。
「来ない、よね」
たとえ拓海が来たとしても、普通に会話できると思えない。
「誰かの、悪質な、いたずら」
鈴音は考える。
当時、あっという間に噂になった。
近所の人たち、学校の同級生、全員に知られた。
鈴音はみんなが自分を見ている気がした。
哀れな罪人を見る目。
責め、とがめ、そして上辺だけの同情をみせる。
鈴音がここに帰って来たことを知った人が、嫌がらせをしているのかもしれない。
拓海の幼くてあどけない笑顔を思い出す。
照れて頬を膨らまし、顔を赤らめ、鈴音に笑いかける。
あの笑顔の中に、悪意が隠れていたのか。
「信じられない」
鈴音はつぶやく。
本心から信じられなかった。
光が見える不思議な話も、嫌がらせの布石だったとは思えない。
「ああ、もう」
鈴音は深く溜息をついた。
リセットしたくてここへ帰って来たけれど、結局逃げられないのだ。
余計深みにはまっている。