ラストバージン
「いらっしゃいませ」


「こんにちは」


「お好きなお席にどうぞ」という聞き慣れたセリフに頷き、カウンターの左端の椅子に腰掛ける。


レトロな雰囲気に包まれたこの【喫茶店 〜(かえで)〜】は、白髪と似た色の顎髭が似合うマスターが趣味で経営しているらしい。
一人娘ならぬ、一人孫である高校生の女の子と同じ名前を付けたというこのお店は、忙しそうな時をまだ見た事がない程いつもお客さんが少なかった。


今のマンションに引っ越して来てから二ヶ月程した時に見付け、それ以来仕事帰りや休日に足を運ぶようになり、今では常連客の一人だと自負している。


「ブレンドを下さい」

「かしこまりました」


ドアに付けられた、少しだけ剥げた銅の鐘。
年期の入った振り子時計や、レコードから流れる曲。
そして、マスターのこだわりのブレンドコーヒー。


素敵なところはたくさんあるけれど、私はこのひっそりとした静かな空間がとても気に入っている。


「お待たせ致しました」


コーヒーの香ばしさが、鼻先をフワリとくすぐる。


「いただきます」


カップを手にしてマスターに笑顔を向けると、彼は目尻のシワを深くして微笑んだ。

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