ラストバージン
「そうでしたか。それでは、さぞお疲れでしょう」

「いいえ、慣れていますから」


こんな時間に駅前にいるという事は、きっと楓は臨時休業なのだろう。
半袖のYシャツにスラックスというマスターらしくないラフな服装が、それを裏付けているようだった。



「もしよろしければ、少し店に寄って行かれませんか?」


それなのに、マスターはごく自然と私を誘ったのだ。


「え? でも……今日はお休みなんじゃ……」

「あぁ、はい。午前中に用事があったので臨時休業にしていたんですが、午後からはずっと暇を持て余していましてね。今は夕涼みに散歩をしておりました」

「そうだったんですか」

「はい。ですから、結木さんさえよろしければ、この老いぼれに少しばかり付き合ってやっては下さいませんか?」


おどけたように笑ったマスターは、また私の顔を見て疲れているとでも思ったのだろうか。
どちらにしても、この申し出はとても嬉しかった。


だって、榛名さんと鉢合わせてしまわないかと懸念して、あの日以降は楓に行けなくなっていたから……。


「じゃあ、少しだけお邪魔させて下さい」


臨時休業なら彼に会う事はないだろうと、私は小さく笑って見せた。

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