ラストバージン
「じゃあ、また連絡するね。次は結婚の報告かもしれないから、ちゃんと心構えしておいてよ?」


悪戯な笑みを浮かべた菜摘に一瞬戸惑って、慌てて笑顔を繕った。


「その時は、何でもご馳走するよ」

「いいの? 三ツ星ホテルのフレンチとか、一見さんお断りの料亭でも?」

「……やっぱり、お店は私が決める」


ニヤリと口元を緩めた菜摘にため息をつけば、彼女はケラケラと笑った。


「冗談だよ。そもそも、一見さんお断りの料亭なんて知らないし」

「菜摘が言うと、冗談に聞こえないんだけど」

「それはどうも」


上機嫌な菜摘は私の悪態も笑って流し、「じゃあね」と手を振って改札口に向かった。


後ろ姿すら幸せそうに見えるのは、彼女の状況を知っているからだろう。
その背中が人混みに紛れてしまった後、羨望混じりの眼差しを向けていた自分に気付いて、心の中に居座ったままの焦燥がまた大きくなる。


菜摘は冗談で言っていたみたいだけれど、きっと〝心構え〟は必要だろう。
私はもう、ときめき方さえも覚えていないのに……。


そんな事を考えると憂鬱になって、雑踏の中でも響きそうな程の大きなため息が落ちた――。

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