雨の日は、先生と

「それにしても、本当に数学が好きだったんですね、笹森さんは。」

先生は、嬉しそうに言う。
数学が嫌いじゃない、というのは私が言った口実だったのだけれど、それを覚えていてくれる先生が嬉しかった。

「好きですよ。」

――先生が。

決して言えない言葉を胸の中に仕舞う。
仕方ないんだ。
これ以上を望む私は、どうかしてる。

「じゃあ、今日はこのくらいにしますか。」

「はい。」

名残惜しい。
でも、未来に幸せを残しておきたい。


「では、今日は職員会議があるので、これで。」

「はい、さようなら。」

「さよなら、笹森さん。」


胸の片隅がほんの少し痛い。
でも、私はその痛みを隠して、微笑む。

分かってる。
昨日は、補習の終わった時間が特別に遅かったから。
だから先生は、送ってくれたんだと。

期待する方が間違ってるんだ。


準備室を出る扉に手を掛けた時、天野先生のためらいがちな息遣いが聞こえた。



「笹森さん。」


「はい?」



動きを止めて振り返った私に、先生は早足で歩み寄ってくる。



「転んだかなにかしましたか?」


「え。」



――やっぱり先生に隠し事はできない。

もうばれてしまうなんて。



「あっ、ちょっと。体育の授業で、足、捻っちゃって。」


そう言った時、先生の表情が少し変わった。


「足、ですか。」


――あ。

先生は、足を怪我したかどうかなんて聞いていない。
それなのに、そう答えてしまった私は……。


「せ、先生?」


動きを止めてしまった先生をうかがうように見る。


「笹森さんは、」


「はい。」


先生はしばらく考えるように私をみつめていた。
その言葉の後に何が来るのか怖くて、私はその目を見つめ返せない。


「笹森さんは、そそっかしいんですね。」


だから、そう言ってにこっと笑った先生に、すごく安心して。
でもその反面、ほんの少し残念だった。


「はい。そそっかしいんです。」


「気をつけてください。心配です。」


「ありがとうございます。」


その言葉を最後に、その日は別れた。
でも、『心配です』という一言が、どれほど私の心を温めたか、先生は知らない。

嘘でもいい。
そんな小さな一言が、私を支えていた。
こんなちっぽけな私には、そんな小さな言葉でも充分だったんだ。

好きとか愛してるとか、そんな言葉を欲しがるようなら、最初から先生のことを好きにならなかったから――
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