約束
 彼はちらっと振り返り、私の姿を認めた。苦笑を浮かべた横顔が一瞬見えた。なんとなく嬉しくなって彼めがけて思い切りジャンプする。一気に距離が縮み、私の爪が彼の背中に届く――はずだった。
届かなかった。触れられずに彼の姿が歪んでいく。
時間みたいだ。もう少し遊びたかったなぁ……。ここからが本番、なのにね?
振り向いた彼は滲んでいたけど、おそらく笑顔。今回は私の負けだから。
急速に世界がぼやけていく。視界の端から闇が入ってくる。闇がすべてを塗りつぶし、プツンと世界との繋がりが消えた。

 じわぁと身体の感覚とその重さを感じる。寝返りを打って目を開けた。カーテンの隙間から日が差し込んでいる。どれほど夢を見ていたのだろう。
のそりとだるい身体を起こす。ベッドから下りてふわりとしたカーペットに足をつける。貧血でふらふらとしながら、カーテンを開け洗面所まで歩いた。
廊下に出ればすぐにキッチンと洗面所がある。いたって普通のこじんまりとしたアパート。お金はあるけど、私の心は贅沢を必要としない。よく眠れるベッドと絵を描く部屋があれば十分なのだ。
とりあえず目を覚ますために洗顔をする。そしてすぐに美白用の化粧水と乳液をコットンで塗りたくり、パックする。そのまま朝食を準備するのが恒例行事だ。
マグカップにティーバッグとお湯を入れ、冷蔵庫から食パンを出す。食パンはトースターでこんがり焼いて、マーガリンをつけて食べるのが一番美味しい。紅茶とパンがあれば朝は幸せ。
紅茶と食パンを乗せたお皿を持って、先ほどの部屋に戻った。白いテーブルの上に朝食をセットし、赤いクッションに座る。紅茶はキャラメル味が気に入っている。キャラメルティーでほっこりしながら、食パンをかじった。
朝の幸せな時間は、食パンと共に終了を告げる。
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