四月の魔女へ ~先生と恋に落ちたら~
次の日の早朝から、家庭教師がやってきた。

細身で身長が高い男だ。

身につけているものが、どれも高級品。

父が付き合いそうな人だと、一目見て思った。


「詩織ちゃん、家庭教師の冬樹です。よろしく。」

「・・・。」


顔立ちもよく、低く響く声も声優のようだ。

でも、そんな男に詩織ちゃんと呼ばれると、背筋が寒くなった。


「なんだ、無視か?冷たいんだな、詩織ちゃんは。」

「やめて。」

「え?」

「その呼び方。やめて。」

「ああ、だめ?じゃあ、なんて呼んだらいいかな?早瀬と呼び捨てにするのは、ほら、俺君のお父様にお世話になってるから、ちょっと気が引けるんだよね。」

「小倉って呼んで。」

「こ、小倉?」

「そう。私は早瀬詩織じゃないよ。小倉、小倉詩織。」

「そうなの?だって君は、」

「つべこべ言わないで。」

「ったく、怖いなあ。」


冬樹は舌打ちしながら、私を値踏みするような目で見まわす。


「小倉、付き合ってる人とかいるの?」

「いなきゃこうなってない。」

「え?あ、そういうことだったのか。なんだ、てっきり御嬢さんは体が弱くて、学校に行けないのかと思っていた
よ。」

「うるさい。」

「なんだ、つまらんな。で、誰だ、相手ってのは?」

「うるさい!」

「そんなに怒るなよ……。可愛い顔が台無しだぞー。」


嫌いだ。

この男は嫌いだ。

直感的にそう思った。


「さあ、小倉、お勉強の時間だよ。絶対にこの部屋から出すなと言われているからね。」

「何よそれ。」

「トイレに行く時も、ご飯の時も、いつも一緒だよ。絶対に離さない。」

「やめてよ、変態!」

「お父様からのお達しだからね。俺の意思じゃない。」

「狂ってる!」


仕方なく学校の教科書を開く。


「何の教科からやろうか?あ、そうだ、学校の時間割通りにやろうかね。今日の1校時は……生物。お、生物いいじゃん!俺、高校の時そこそこ得意教科だったし!」


冬樹が生物の教科書に伸ばした手を、私は力いっぱいはたいた。


「触らないでよっ!」


その教科書には、私と夏目の思い出がいっぱいいっぱい詰まっているんだ。

一ページ一ページに、思いがこもってるんだ。

いつもいつも、夏目の授業で夏目のことばっかり考えて。

それでも夏目の授業はいつも面白くて、いつのまにか引き込まれていて。

どの単元は、夏目がどんな話をしたか、雑談まではっきり思い出せるくらい、私は一心に夏目の授業に耳を傾けていた。


その教科書に冬樹が触れたら、そのすべてが穢されるような気がして―――


思わず涙をこぼした私を、冬樹が不思議そうに見つめていた。


「お前、なんなの?」

「関係ないでしょ。」

「分かったよ、生物は自分でやっとけ。もう知らないからな。」


冬樹があきれたように言った。

ごめんなさい。

心の中でだけ謝っておいた。

冬樹に罪はない。

それは分かっているんだけど。


「じゃあ、数学でもやる?」


こくん、とうなずくと、冬樹は安心したように笑った。


初めて少しだけ、冬樹のために心が痛んだ。
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