四月の魔女へ ~先生と恋に落ちたら~
生物準備室の前の廊下の曲がり角で、夏目を待ち伏せした。

夏休みの学校は、校舎内にはほとんど生徒がいない。

だから、こんなことしててもあんまり不審がられない。


運動部の掛け声に紛れて、かすかな足音が聞こえてきた。


「わっ!」

「せんせっ!」


夏目が驚いたのと、私が声をかけたのは同時だった。


「おまえなぁ。なんか用か。」

「用があるときしか来ちゃいけないの?」

「当たり前だろ。俺は仕事しに来てるんだ。ほら帰る帰る。」

「先生のばか。」


夏目の背中が扉の陰に隠れそうになる。


「先生、用あるよ。」

「なんだ。」

「ヒヨコの近況報告。」

「聞く。」

「じゃあ、一緒にご飯食べちゃだめ?」


しばらく悩んだ後、夏目は言った。


「今日だけだぞ。仕方がない子だ、まったく。」

「やった!」


準備室に入ると、夏目がお茶を入れてくれる。


「で、ヒヨコさんは何て名前にしたんだ?」

「内緒。」

「教えろ。」

「ぜーったい言わない。」

「ちゃんと生きてるんだろうな。」

「元気だよ。すっごく。」

「そうか。なら良かった。ありがとな、小倉。」


ふいにそんなことを言われると調子が狂う。

私はしばらく無言になった。


「小倉。」

「なに?」

「いや、なんでもない。」

「何よっ?」

「何でもないって。」


何か言いたそうな夏目。
でも、結局何も言わずに口を噤んだ。


「先生。」

「なに?」

「聞きたいことがある。」

「何だ。」

「あのさ……、『永遠の片思い』って、」

「その話か。」

「何で永遠なの?」


夏目は、私の目を見つめた後、諦めたようにふっと笑った。
とてもとても、悲しい笑みだと思った。


「叶わないから永遠だよ。言葉通りだ。」

「叶わないって、どうして?」

「どうしても。」


夏目はそれきり、黙ってしまった。

私は、そんなことを訊いてしまったのを後悔した。


「ごめんね、先生。関係ないよね。」

「そうじゃない。でもまだ、誰かに話せるほど、俺は……」

「ごめんなさい!分かってるよ。私だって言えないことあるから。ほんとにごめんなさい。」


夏目は寂しそうに笑った。


「謝るなよ。……君は、ヒヨコを救ってくれたじゃないか。あれはほんとに、俺が悪かったんだから。君のおかげで気付いたよ。俺はもう一度同じ過ちを繰り返すところだったってね。」

「同じ過ち?」

「ああ、いいんだ。気にするな。」


夏目が、過去に同じ過ちを犯したと言うなら。

そして、それが『永遠の片思い』に繋がっているのなら。

案外、夏目と私は、似たもの同士かもしれない、と思った。


「私、ちょっと救われたよ。先生のヒヨコのおかげで。」

「そうか。良かった。」


夏目は微笑んで一言言った。


「でも、ハンカチはまだ返さないぞ。」

「どうして?」


夏目はその質問には答えずに、コンビニ袋の中から、お弁当を取り出した。


「お前は?」

「教室。」

「一緒に食べようとか言っただろ。」

「とってくるから待ってて。」

「30秒だけ待ってる。」


私は廊下を駆け出した。

30秒じゃとても無理だ。


でも夏目のことだから、30秒過ぎても待っててくれる。


そんな気がした。
< 51 / 182 >

この作品をシェア

pagetop