ナムストーンPART3
カシミール1
1971年インド北部ジャムカシミール州の
カルギルという町に一人のパキスタン青年がいた。
イスラムのターバンを巻き口とあごに黒ひげをはやした
青年将校は貿易商人に化けてカシミールの
イスラム過激派の動向を探るために潜入した。
その名をガウリ・ムシャラフという。
カシミール南部の町々は緑多く山と湖に囲まれて
19世紀半ばの藩王国時代までは夏なお涼しき
インド最大の豊かな避暑地だった。
ガウリはここでイスラム商人の5人兄弟の末っ子
として1947年1月に生まれた。
何不自由なく育つかに見えたムシャラフ家に悲惨な
大激震が襲ったのはこの年の8月であった。
英領インドはインドとパキスタンとに分離独立する
ことが決定、イスラム教徒は西と東のパキスタンに
その方面に住むヒンドゥー教徒はインドへの民族
大移動が全国規模で起こったのである。
インド最大の藩王国の国王マハラジャ3世は悩みに
悩んだ。藩王国の8割はイスラム教徒である。
パキスタンに接するこのカシミール藩王国はパキスタン
に帰属することが誰の目にも順当であろうと思われた。
だがしかし一つだけ不当なるものが存在した。しかも
それは決定的に不純なものだった。それは、
藩王自身は代々ヒンドゥー教徒であるということだった。
カルギルという町に一人のパキスタン青年がいた。
イスラムのターバンを巻き口とあごに黒ひげをはやした
青年将校は貿易商人に化けてカシミールの
イスラム過激派の動向を探るために潜入した。
その名をガウリ・ムシャラフという。
カシミール南部の町々は緑多く山と湖に囲まれて
19世紀半ばの藩王国時代までは夏なお涼しき
インド最大の豊かな避暑地だった。
ガウリはここでイスラム商人の5人兄弟の末っ子
として1947年1月に生まれた。
何不自由なく育つかに見えたムシャラフ家に悲惨な
大激震が襲ったのはこの年の8月であった。
英領インドはインドとパキスタンとに分離独立する
ことが決定、イスラム教徒は西と東のパキスタンに
その方面に住むヒンドゥー教徒はインドへの民族
大移動が全国規模で起こったのである。
インド最大の藩王国の国王マハラジャ3世は悩みに
悩んだ。藩王国の8割はイスラム教徒である。
パキスタンに接するこのカシミール藩王国はパキスタン
に帰属することが誰の目にも順当であろうと思われた。
だがしかし一つだけ不当なるものが存在した。しかも
それは決定的に不純なものだった。それは、
藩王自身は代々ヒンドゥー教徒であるということだった。