隣に座っていいですか?これはまた小さな別のお話
「なんでもない」
「なんでもない」
桜ちゃんと同じ言葉を言い
不思議そうな顔をする彼を台所へと引っ張る。
桜ちゃんは「おへやでおてがみかく」って椅子からジャンプして、風のように二階へと走って行った。
素早い。さすが忍者志望。
まだ納得いかない顔をして、彼はコーヒーの豆を挽く。
私は彼の広い背中に、ぺったりくっつく。
優しいニットの背中越しに、温かい彼の体温を感じる。
「どうしました?」
柔らかい声。
心地よい彼の声は魅力的。
「何が?」
まだ甘えたままの姿勢でいると
「郁美さんが甘えるのって珍しいから」
軽く笑ってる
この余裕も何だか憎いなぁ。
顔を上げて彼の横顔を覗き上げる。
スッと鼻筋が通っていて
涼しげな端整な顔。
「紀之さんさぁ」
「はい」
「学生の頃、モテたでしょう」
「それなりですね」
平然と答えるのもまた憎い。
「バレンタインには、チョコいっぱいもらった?」
「まぁ、それなりに……ほら、危ないですよ」
挽いた豆のいい香りが漂う。
彼は私を背中にくっつけたまま、口金の細いシルバーのポットに水を入れ、コンロにのせた小さな丸い網にのせて点火する。