苦恋症候群


誰かに名前を呼ばれたような気がして、私はその場で足を止めた。

振り返ると、少し小走り気味にこちらへと近づいてくる姿。

思いがけないその人物に、自然と目を瞬かせた。



「すみません、森下さん。お疲れさまです」

「……お疲れさま、葉月さん」



目の前まで来た葉月さんに倣って、お決まりのセリフを口にする。

あの雨の日から、1週間ほどが経つけれど……こうして彼女と会うのは、あれ以来だ。

わざわざ向こうから話しかけてくるなんてと、私は多少身構えながら、葉月さんの次の言葉を待った。



「あの。今少し、お時間いいですか?」

「今? 大丈夫だけど……」



1日の業務を終え、今日はもう、帰宅するだけで特に用事はない。

ここは職員通用口の前。時刻は18時を少し過ぎたあたりだ。

私の返答を聞いて、葉月さんがバッグを肩にかけ直しながらうなずいた。



「ありがとうございます。ここじゃアレなので、ちょっと場所を移動しても構わないですか?」

「うん、わかった」



私の返事に、少しだけほっとしたような笑みを浮かべた葉月さん。

それから彼女は私を追い越して、通用口のドアノブに手をかけた。
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