とにかく毎日呟くという二月の挑戦。〜言ってみよう!やってみよう!〜
20日。フィギュア女子SP。

【2月20日木曜日】

まずは今朝未明に行われたフィギュア女子SPについて。
ぶっちゃけ、私は特定の選手のファンというわけではない。「素敵だわぁ…」と心底見惚れてしまうのは織田くんの着氷くらいだ。もうひとつ加えるなら高橋大輔のダンサブルなステップ。ただ、優雅で美しいものに目がないのでこの競技が好きというだけ。そういった観点から、今朝のショートで一番拍手を送りたいのはキムヨナでもソトニコワでもなく、カロリーナ・コストナーの「アヴェ・マリア」だ。なにあの完成度。ジャンプもスケーティングももちろん素晴らしかったけど、そういう技術面は超越して一番訴えるものがあった。これぞ芸術作品。崇高な雰囲気さえ漂っていたもの。宗教曲だから私がコストナーの演技から受け取ったそのイメージが正解なわけで、氷上という不安定極まりない舞台で床から離れるという大技を入れて、一曲淀みなく奏するなんて、本当にブラヴォー!としか言いようがない。身体全体の神経を研ぎ澄ませて滑っていて、全てが柔らかで、本人も気持ち良かったろうけどこちらも陶酔の極致だった。特に、腕の柔らかさなど上半身の表現力は筆舌に尽くしがたい。もっと取り上げなさいよ報道機関。わたしは朝9時以降一秒たりともコストナーをテレビで見なかった。ここは日本だから仕方ないけど。真央ちゃんがあの出来じゃ仕方ないけど。

真央ちゃんだけじゃなく、日本勢の演技は観ていて辛かった。楽しくも気持ち良くもなさそうだったもの。せっかく常人では到達できない場所に立てているのに、それが重圧の材料にしかならないなんて、かわいそうに。安易な憐憫は選手に失礼と承知しているが「かわいそう」以上にぴったり来る言葉がない。先進民主主義国家のなかでこんなに国の名前が選手にとって重いのって日本くらいじゃないか。(オリンピックを国威発揚の手段にしている後進、共産、社会主義国家は除くという意味)
他の二人はそうでもないけど、バンクーバー以降の真央ちゃんはいつも辛そうに見える。もう滑るのが楽しいとか嬉しいとか、そういう個人の悦なんか超越した境地なんだろう。だから私は彼女を見ていると、ひたすら苦行を積む修行僧のようで息が苦しくなる。本当に僧の心境なら「解脱」という究極にエゴイスティックな目標があるからいい。けど、真央ちゃんはそうじゃない。ただスケートが天才的に上手な日本の少女“だった”だけだ。だから、国とか周囲の期待とか俗に「空気」と呼ばれる目に見えないものの為に、そんなに自分を追い込まないでほしい。(日本に生まれ育った以上はそんな事言っても仕方ないのだけど)期待に応えられなくてごめんなさい、なんて泣かないでほしい。勝手に期待したのはこちらなのだし、あなたを応援しているほとんどの人は自宅でぬくぬくと、何ならお菓子でもつまみながら観てるんだから。

それよりも。
フィギュアは「演技」と称される。
パフォーマーが「表現したいもの」があって、はじめて受け手にとって「演技」になるのだと思う。色んな意見があるだろうが、少なくともわたし個人的には、フィギュアはジャンプが奇麗に跳べればいいとは思わない(採点競技だから失敗してもいいとも思わんけど)。ただそれが演技である以上は、何かを伝えてほしい。各選手の「表現したいもの」が、ちゃんと伝わればいいなぁと願うばかり。
とにかく3Aを跳んで競技人生を終わらせたい、という真央ちゃんの思いは痛いほど伝わってくるので、それに挑むことに批判的な声も聞かれるけど、挑戦したらいいと思う。成功率云々じゃない唯一のこだわりがそれであるならば、心置きなく跳んだらいい。

・・・あれ。

おかしいな。
きょうは、地元の神戸をこよなく愛する夫についてだらだら呟こうと思っていたのに。
冒頭にちょっとフィギュアの感想書こうと思ったら止まらなくなってしまった。まずは、もなにも本日のメインですがな。
あ、あす以降に登場願いましょう。ごめんよダーリン。そうよね、いつもそういう扱いよねアナタ。かわいそうに。そうよ、あす以降と濁したのは明日の未明に女子フリーがあるからよ。その内容如何によってはあなたの出番は明後日になるのよ。ごめんよダーリン、でもそんなに人前に出るの好きじゃないものね、いいよね。よーしよしよし。

明日の未明が楽しみであります。

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