とにかく毎日呟くという二月の挑戦。〜言ってみよう!やってみよう!〜
26日。「ふ」と「し」の狭間で。

【2月26日水曜日】

つらつら。

きょうは暖かかった。春の陽気。車の中はツイードのワンピースでは汗をかくくらいに暑かった。コートは後部座席でずっとお留守番。PM2.5の飛来がピークだったとか。花粉も飛び始めたし、アレルギー持ちには堪らない季節がやって来たようだ。ふー、、、

先日、高山さんのエッセイ『晴れ時々毒舌3』の感想ノートに思わず書き込んでしまったけれども、生活から消えていく言葉たちについて思いを馳せる。

わたしの祖母は看護婦だった。
あえて看護師とは書かない。看護婦、だった。
「し」という音からは鋭さが真っ先に感じられる。有無を言わさぬ正しさ、みたいなものも。対して「ふ」は柔らかさ。さりげなく、そっと寄り添う音。
わたしの祖母はわたしにとって「かんごふさん」以外の何者でもなかった。やわらかく、あたたかい、だけでなく頼りになる人。

他人に祖母の話をするとき、わたしは選択して「看護婦さんだった」と説明する。いまはその職業を総じて看護師、と呼ぶことは勿論知っているけれども、上記のような理由で。看護師さん、なんて知らない。知らなかった。私の祖母は、看護婦さんだった。

同じように、小さい頃の夢は?と聞かれたら「スチュワーデス」だったと答えるだろう。当時わたしがキラキラした眼差しを向けていたのは客室乗務員でもキャビンアテンダントでもない。そんな単語は知らなかったし、生活の中に存在していなかった。あくまでスチュワーデス、だもの。客室乗務員って聞いてもなんら興奮させられない。奮起の材料がない。夢は、「スチュワーデス」だった。

これらの言葉が公に用いられなくなった背景についてはよくわかる。
ただ、何もかもニュートラルの状態にすることが果たして良いのかどうか。スチュワーデスや看護婦さんという単語を使うことが、イコール差別に繋がるのか。いいや、全てがそうではないだろうと。

使用する言葉にはそれぞれ発する人の思いが乗せられている。
禁じられれば、その時に抱いていた気持ちごと、封印されたような気分になる。

言っても仕方のないことだけれども、簡単に歴史から消されていく言葉たちを見ると、えもいわれぬ悲しい気持ちになる。もうその言葉を公に使えないということは、わたしの当時の気持ちを正しく表現してくれるツールを失うことに等しいから。

言葉は伝わらなければただの記号
と、よく言われてきた。

だけど、伝えるために一番適当な言葉が規制によって使えなくなった場合、表現者たちはどうしたらいいのか。どうしようもない、諦め代替表現を模索する以外には。

詳しくは覚えていないけど、ドーデの「最後の授業」について書かれたものを読んだことがある。先生が、黒板を書き終えて子供達に言う。みなさん、あすから私たちの言葉は消えてなくなります。

明日から母国の言葉が消えてなくなる、今日まで使っていた言語が、明日から話すことも書くことも禁じられる。そんな状況が100年も前でない時に実際に起こっていた。これには衝撃を受けた。今回のつぶやきの内容からは飛躍するけど、母国語がいつか奪われてしまうなんてわたしたち日本人には考えもつかない。そんな緊張感を持って自分たちの使用する言語に接していない。だから外来の言葉に対して驚くほど寛容だし、柔軟に取り入れる。ハイブリッド言語、日本語。


いつか痛い目をみなきゃいいけど。


きょうはここまで!タイムアップ!
まとめきれないまま
いつも通り終わります!かんかん!!
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