坂道では自転車を降りて
 どうしよう。あの子が狙われてる。俺は次々に乗車する人の流れを避けながら、男の後ろまでなんとか移動した。ドアが閉まる。でも、まだ何かされてる訳じゃない。美波は声かけろって言ってたけど、名前も知らないし、何もないのにいきなり声かけたら、俺の方が不審者だ。どうしたら良いんだ。ジリジリと見ていると男が動く。彼女を囲むようにドアに手をつき、身体全体で彼女を圧迫する。男の顔が彼女の顔に近づいた。息がかかるのか、密着した躯が気になるのか、彼女が嫌そうに身体の向きを変えて、窓の方を向いた。すると男は彼女の躯にかがみ込むように覆い被さった。彼女の姿は隠され頭の先しか見えなくなった。彼女の身体を抱き締めるような仕草。彼女の頭がビクッと震え、不自然にキョロキョロと動く。

「おいっ。」
俺は思わず声を上げてしまった。やたら大きな声が出てしまい、車内が静まり返った。当たり前だが、誰も何も答えない。男も俯いたまま動かない。俺もどこを見ていいのか分からず、視線を下に落とした。全ての人が俺の言葉に耳をすませながら、無視している。異様な雰囲気にどうしたらいいかわからなくなる。

「その子に触るな。」
下を向いたまま、やっとそれだけ言った。
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