ただ、そばにいて。

３）厄介な頼み事

　――男だ。
　厚手の黒いダウンコートに包まれた体を折り畳み、男は膝を抱えている。
　細身のジーンズ、大きなトレッキングシューズ。足もとには、大きなボストンバッグが置かれている。

　服装から判断すると、二十代くらいだろうか。
　けれど瑞希の周りに、家まで訪ねてくるような知り合いはいない。

　不審者に注意、と書かれた回覧板が回ってきたのはいつだっただろう。
　日本の、どこか遠くの場所で起きていると思っていた事件が、ひっそりと近くに身を潜めていることに改めて気が付く。

　いや、実際に身近でも、何度かトラブルがあった。
　日常の忙しさに紛れて忘れてしまっていただけで。


　瑞希は慎重に門を閉めた。
　かしゃん、とわずかな音を立ててしまったが、植込みの向こうの薄汚れたシューズは動く気配がない。
　瑞希はゆっくりとあとずさる。
　手に持ったコンビニ袋の音に気を付けながら静かに自宅の敷地を抜ける。

　門から一メートル離れた。背後に人の気配はない。
　三軒分ほど坂を下ったところで瑞希は走り出した。
　スエードのブーツについたフリンジがせわしなく鳴っている。冷たい空気が肺に刺さり、喉の奥がひりひり痛い。

　怖い想像がいくつも脳内をよぎる。
　寝静まった閑静な住宅街。大声を出しても誰かが助けてくれるという確証はない。
　現代社会は驚くほど関係が希薄なのだ。

　何度もうしろを振り返りながら、ところどころ凍った道を駆け下りる。
　公園の角を曲がり、ようやく広い通りに出た。
　車や歩行人の姿を見て、瑞希はようやく胸を撫で下ろした。

　男が瑞希を追ってくることはなかった。
　瑞希はゆっくり呼吸をする。
　顔は火照り、心臓が激しく鳴っていた。
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