ここにはいられない


私はこの土地で育ったけど実家があるわけではない。
父には転勤があって、私を巻き込まないために遠距離を通ったり単身赴任してくれていただけだ。
だから私の大学入学と共に母も父について行き、今は県外に住んでいる。

そのため市役所に採用になった私は公舎への入居を申し込み、それは意外にもあっさり認められた。

そのわけは入居後2ヶ月ほど経ってからわかった。
公舎を管理している総務課から年度内での退去を告げられたのだ。

築50年を越える鉄筋コンクリートの建物には確かに大きなヒビが入っている。
湿気で襖の紙はベコベコに波打ち、壁はシミやカビだらけ。
訪ねて来た友人をして「公園の公衆トイレでももう少しマシじゃないの?」と言わしめた物件だ。

だけど家族向けメゾネットタイプの3DKで、1階にキッチンと1部屋、お風呂&トイレ。
2階に2部屋という一人暮らしには広すぎるほどの間取りで、公舎の料金が月1万3千円、もちろん敷金礼金なし、という破格の値段!
設備の古さをおしても入居を決めた最大の理由だ。

同時にそんな好条件にも関わらず残っていた理由をもう少し考えるべきだったのだ。


全国的に公務員公舎は次々と消えていっている。
もう新しく建てる自治体などないだろう。
私が引っ越してきたこの公舎も今住んでいる住人の引っ越しが終わり次第、取り壊されることになっているそうだ。

「一応年度内とお伝えしてますが、さすがに新しく人を入れるつもりはないのでゆっくりでいいですよ。とは言っても来年度中にはお願いします」

総務課の言葉を鵜呑みにするなら、あと1年半ほどは住んでもいいのだけど、急かされているようで落ち着かない。
どのみち、ここに長くはいられないのだ。


3月4月の異動シーズンが終わってしまうと物件はなかなか増えない。
不動産屋さんに「いい物件があったら連絡ください」とお願いしておいたところ、たまたま1LDKで職場にも近くて便利なアパートが10月から空くという。
まだ住んでいる人がいるから部屋の中までは見られなかったけど、スーパーも近いし、駐輪場や物置も完備されていたので即決で引っ越しを決めた。
その引っ越しは約1ヶ月後。

< 21 / 147 >

この作品をシェア

pagetop