彼の甘い包囲網
最愛
早退する、とロッカールームに寄る前に兄にメッセージを送った。

兄からはすぐに迎えに行くと連絡が来た。

心配してくれていることはわかっていた。

何があったのか、と迎えに来てくれた兄に聞かれ、先程の出来事を淡々と話した。


「……お前のことが漏れているな……悪かった。
気にするな」

険しい表情で柊兄は私に謝った。

私は静かに首を横に振る。

兄は悪くない。

千春さんの自宅に戻るまで私達は無言だった。

千春さんは何も言わず、ギュッと私の手を握ってくれた。

千春さんは私が居候するようになってから、私が一人にならないように自身のスケジュールを調整してくれている。

そのことも申し訳なかった。

千春さんは部屋で休むように言ってくれた。

身体に力が入らない私は素直に従い、着替えてベッドに潜り込んだ。

眠気が襲ってくる気はしなかったけれど、布団の柔らかさがささくれだった気持ちを和らげてくれた。

千春さんは兄と話をしているようだった。

二人の声を聞きながら私は目を瞑った。


どれくらい時間が過ぎたのか。

スマートフォンの着信音で私は目を開けた。

ベッドサイドの窓の外にはすっかり闇が広がっていた。

小さな机の上に置きっぱなしにしている鞄の中を探る。



光る画面に浮かぶ名前は『奏多』

震える手で慌てて通話ボタンを押す。


「……楓?」


久しぶりに呼ばれた名前、久しぶりに聴くその声に。

……胸がいっぱいになる。

話したいことも聞きたいこともたくさんあるのに。

返事をしたいのに。

……声が出ない。


「……楓、泣くな」


奏多の声が耳に沁みる。

聞きたかった声。

見えるわけがないのに、必死で頷く。


「か、なた……かな、た」


それだけで精一杯。

私の頬を伝う涙。


「……ごめん、楓。
一緒にいれなくて」


首を横に振る。


「……楓。
俺のせいで辛い思いをさせてごめんな。
だけど、俺はもうお前を手離せないんだ。
お前だけは手離したくないんだ。
お前が必要なんだ。
お前が……大事なんだ」

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