彼の甘い包囲網
「楓ちゃん!」


大きな声が響いた。

カツカツカツ、と急ぎ足で私の元に来てくれた杏奈さん。

パッと徳井さんが私から離れた。

「徳井さん、よね?
私の後輩に何か用事でも?」

普段の杏奈さんからは想像できないくらいにキツい声音で徳井さんを見据える。

「佐波さんへの言伝てをお願いしただけよ?
じゃあ、安堂さんよろしくね」

杏奈さんの横を何食わない表情ですり抜ける徳井さんに、杏奈さんの刃のような声が切り裂いた。

「……何の根拠もないくせに言いがかりもいい加減にしなさいよ。
恥ずかしくないの?
品位を疑うわ」

「何ですって?」

「あら、事実でしょ?
嫌味を言うためにワザワザ秘書課チーフが来たってあなたの担当役員に言うわよ?」


杏奈さんの言葉に、徳井さんは怒りを露にした表情で、グッと唇を噛み締めた。

「……そんなことを言っていられるのは今のうちだからね」

悔しそうに言って徳井さんは荒々しくエレベーターに乗り込んだ。


「……楓ちゃん、大丈夫だった?
一人にしちゃってごめんね」


徳井さんの姿が見えなくなると杏奈さんが私に申し訳なさそうに声をかけた。

「い、いえ。
あの、助けてもらって……」

「いいのよ、あんなの言いがかりも甚だしいわ。
気にする必要ないから。
瑠璃はどういう教育をしているのかしら?」

プリプリと怒ってくれる杏奈さんを見て、強張っていた身体の力が抜けた。

「……会議室の準備が終わったら今日は帰りなさい。
佐波さんにはその封筒を私が渡して、伝えるから。
……顔色が悪いわ」

「……でも」

「先輩命令よ」

イタズラッぽく笑って杏奈さんが言った。

私は泣き笑いのような顔で頷いた。
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