拾った彼女が叫ぶから

日々練習、日々遁走

「マリア。マリア? ……マリア!」

 今日も今日とてルーファスの呼び声が中庭に響く。マリアは両手で耳を塞いで聞こえないふりをした。呼び声がうわんうわんとエコーするのを目も瞑ってやり過ごす。

「なーんであんなにくっついてくんの、よ!」

 ダンスの練習を始めてから、ルーファスが付きまとってくるのが日に日にエスカレートしている。マリアはダンス用にと借りたエメラルド色のドレス姿のまま中庭を囲む回廊の脇でしゃがみ、膝頭に顎を乗せた。頭部に鷲を模した装飾の施された柱がいくつも並ぶ回廊は、中庭に差し込む陽の光のお陰で目に眩しく輝いている。エメラルド色のドレスは光の加減でいかようにも光彩を変え、複雑な色味を帯びて波打った。
 マリアは白とエメラルドの美しい対比を視界に収めつつ、はあーっと盛大なため息をつく。行儀が悪いことだと知りつつも、止められない。

 こういうのは、困る。
 本当はマリアもわかっているのだ。ルーファスが執拗に彼女にまとわりついてくる理由を。
 頻繁に王宮へ上がる自分が、陰で何かと笑われていることは知っている。「ガードナー公爵のお手付き娘」「貞操の意味を知らない子猫ちゃん」などと、王宮に出仕している令嬢たちから揶揄されているのをこの耳で聴いたこともある。けれど、それが表立った嫌がらせに発展しないのは、第三王子のルーファスの存在がマリアの横にあるからだろう。
 ルーファスは、ああして公にマリアを構うことで、人々の口さがない噂からマリアを守ってくれている。

 それならいっそ王宮になど呼ばないで欲しい、と一瞬考えそうになってマリアは頭を振った。何はともあれ収入源を提供してくれた恩がある。そのように言うべきではないのだ。
 それでも胸の内は複雑である。自分といることでルーファスの評判が下がってしまうからだ。
 王族の内情などマリアには知る由もないが、仮にも第三王子だ。マリアにかかずらって、彼が足元を掬われるのではないかと思うと夢見が悪い。
 ダンスの指導の間はまだいい。本当はそれさえも首を傾げるけど、まだそちらは言い訳が立つ。けれど、それ以外の場所で──あんな風に大きな声で名前を呼ばれるのはやめさせなくてはと思う。
 
 自分を卑下しているのではないが、彼にはこれ以上近付いて欲しくない。自分のせいで、彼まで貶められることだけは避けたい。それで練習が終わるや否や、それ以上話さなくて済むように遁走を繰り返しているのである。いくらマリア自身は彼と過ごす時間が満更ではなくても。

「マリア」

 それに、名前なんか呼ばれたらその度に心臓が跳ね上がるし。

「マリア?」

 気遣わしげな声音なんて出された日には、調子がすっかり狂ってしまう。

「マリア──?」
「はっ、はいっ! って、ルーファス!?」

 たった今考えていた人の声が間近で聴こえて、マリアが反射的に返事をすると、少し息の上がったルーファスが覗き込んでいた。
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