拾った彼女が叫ぶから
「とうとう見つけた」と言わんばかりの笑みが憎らしい。

「マリア、そんなところで何してるんですか」

 咄嗟に立ち上がり後ずさった拍子に、中庭に面した回廊の柱に頭を打ち付けてしまった。痛い。
 マリアは頭の後ろに思わず手をやりながら笑顔を取り繕った。

「あっ、これはあれよっ、今さっきそこに変な虫がいたからつい見ていただけよ」
「へええ? どんな虫?」
「ええっと、あれよ、胴体が私の肘から先くらいに長くって、足が30本くらい左右についていて、触覚がとげとげしてて──ひぁああ!」

 と、マリアは自分で言いながらそんな虫を想像して奇声を上げた。

「マリアはそんな大きな虫を観察してたんですか。勇猛ですねえ。それでその虫はどこに?」
「いや、えっと、ルーファスが来たから逃げていったわよ」
「それは良かった。僕が退治したことになるのかな」
「ええ、ええ、そうね、ルーファスのお陰よ」
「じゃあ御褒美をください」
「あんた何もしてないじゃないの!」
「さっき退治したって言ってくれたじゃないですか」
「……褒美ってあんた、あたしから何をふんだくる気なのよ」
「ふんだくるって。マリアさんは相変わらず強情ですねえ。そんな虫居ないってひとこと言えばいいのに」
「もう! 腹が立つ!」
「僕に嘘はいけませんよ」
「わかってんなら、乗ってこないで!」
「はいはい、そこで僕に当たらないでくださいね。で、御褒美と罰とどっちにします?」

 ルーファスがずいと一歩マリアに近付く。思わずマリアの背が柱にぴたりと貼りついた。

「は?」
「マリアは僕に嘘をつきました。王族への虚言は本当なら禁固刑ですよ。でも僕の罰を受け入れるなら今すぐ許してあげます」
「あんたそれ、罰だけじゃないのよ」
「嘘じゃないなら、僕に虫を退治した褒美をくださいね?」
「……スミマセンでした」
「マリアさんは不貞腐れても可愛いな」
「うるさい」
「はは。じゃあ大人しく罰を受けてくださいね」
「何をすればいいのよ」
「僕とお茶をしましょう」
「は? それのどこが」
「さあ、おいで」

 ──その顔で微笑まないで!
 手なんて差し伸べられたら、混乱する。笑顔が眩しいのは、決して差し込む陽の光のせいではない。
 必殺、微笑みの貴公子の術にあえなくやられそうになる。なんと言ってもこの美しい顔で笑顔を浮かべられたら大抵の令嬢が勘違いする。頰が赤らむのを隠すように、尖った声が出た。

「えっ、いや、ちょっ、待って!」
「……なに?」
「あ、あんた王子なんでしょ? お茶なんてしてていいの」
「いいんですよ。適度な休憩を挟まないと却って効率が下がりますって」
「いや、でもほら、あたしはもう帰るから! あんたとお茶する理由もないし! はっ、もしかしてお茶の中に軽い毒とか仕込むつもりじゃ」
「マリアの思考はときどき飛びますねえ。好きな人にそんなことするはずないでしょう?」
「すっ、まっ、そんな軽いノリで言わないでよ」
「嫌だな、僕は本気ですよ」
「だって戯れじゃないの! あんたと私はそもそも──」
「マリア」

 ルーファスが琥珀の目を眇めた。妙な迫力にマリアは思わず口をつぐんだ。ぎゅっと握った右手にじわりと汗が滲む。
 彼はすぐにまたいつもの笑みに戻ると、にこやかな口調でマリアを諭した。

「困りましたね。じゃあなおさらお茶をしましょう。お茶を飲みながらじっくりお伝えします」
「い、イエイエ結構です。もっとさくっと終わるような罰にして」

 鼓動が乱れる。なんでこんなことになったんだろう。ちょっとした言い逃れ、というか軽い冗談ではないか。ルーファスだってわかっていてやっているに違いない。言質を取られるとは思いもしなかった。さっきの発言を取り戻して取り下げたい。ひくっと喉がつる。
 
「うーん、そうですか? じゃあ僕の目を見て?」
「何よ、こう?」

 マリアは半ば自棄になって、キッとルーファスを睨んだ。

「もう、相変わらずですねぇ。そこがやっぱり可愛いですけど」
「それで何なの、これが罰?」
「では、ここにキスしてください」

 とんとん、とルーファスが左頬を指差した。

「……は? ええっ!? 今ここで!? てかあんたとキスなんてしないわよバカ!」
「あの日はマリアさんから情熱的なキスをしてくれたのに?」
「あれはっ、気の迷いだから忘れて」
「じゃあやっぱりお茶にします? 二人きりで、愛を語らいましょうか」
「いやよ! ……じゃあやってやるわよ! ルーファス、目をつぶって」

 もう何が何だかわからない。完全にルーファスのペースに乗せられていることはわかるのに、こうまで追い詰められると心臓が嫌な音を立てるから逃げ方も躱し方もわからない。

「仰せの通りに」
「茶化さないで」

 ルーファスが笑いながら目を閉じる。マリアは彼の左頬にそっと手を伸ばした。
 心臓がどんどこと派手な音を立てている。
 ──ええい、ままよ!
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