Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~
5. オンとオフ

 翌朝、いつもより早く目が覚めた千紗子は、静かに起き出して身支度を整え、朝食を準備に取り掛かった。

 朝食、といっても、この家のキッチンにはほとんど食料がない。昨日のパンの残りの他に、かろうじで見付けたツナ缶とショートパスタを使って、千紗子は何とか食べれそうなものを作ることにした。

 (今日は帰りにスーパーに寄って帰ろう…。)

 ほぼ塩コショウのみのシンプルな味付けのパスタの味を見ようと、螺旋状になったパスタを箸で一つ摘み上げる。

 (あ、菜箸も買わなきゃ。)

 調理道具も最低限の物すら揃っていないことを思い出しながら、千紗子は箸を口に持って行く。
 けれど千紗子の口にパスタが入ることはなかった。
 箸を持つ千紗子の手を横から大きな手が包んで、その向きを変えさせれたからだ。

 「えっ!?」

 千紗子が声を発したのと、箸の先が雨宮の口に入るのは、ほぼ同時だった。

 「うん、うまいな。」

 「!!」

 箸は雨宮の口からは離されたけれど、千紗子の手首はまだ彼に捕まったままだ。

 「すごいな、うちにこんなふうに食べれる食材があったんだな。」

 あっけに取られている千紗子の隣で、雨宮は「感心する」というように頷きながら、もぐもぐと口を動かしている。

 「雨宮さん、寝てたんじゃ…。」

 きっとまだ寝ているのだろうと思っていたのに、雨宮の格好は寝起きのそれではない。
 黒いウインドブレーカーとハーフパンツ、膝下からは黒いタイツという出で立ちの雨宮は、汗を掻いたのか首から掛けたタオルで額を拭きながら千紗子を見下ろして言った。

 「いや、少し走ってきた。毎朝ランニングをするのが日課なんだ。」

 「そうだったんですね。えっと、もう少ししたら朝食が出来ますので。」

 「ありがとう。じゃあそれまでにシャワーを浴びてくる。」

 キッチンから出ていこうとした雨宮が、なにかを思い出したように立ち止まった。
 くるりと踵を返して千紗子の所まで戻ってきた彼は、腰をかがめて千紗子の耳元に顔を寄せる。そして「おはよう、千紗子。」と囁いた後、こめかみにチュッとリップ音を立てた。

 雨宮が立ち去った後、千紗子は耳とこめかみを掌で押さえて、しばらくその場で立ち尽くしていた。
 千紗子の顔が真っ赤だったことは言うまでもない。


< 104 / 318 >

この作品をシェア

pagetop