恋を忘れたバレンタイン
「ええ、一つでごめんね……」

 チョコを配り終わり、自分の席に戻る。
 袋の中を覗くが、意外にも数が合っていたようで、一つだけ残ったチョコを手にし、取りあえず自分のデスクの隅に置く。


「いいえ、このチョコ美味しいですよね? 高くて自分じゃ買えないから嬉しいです」


「それなら良かった」

 昼に行こうかと思ったが、体が重くて動く気にも慣れず、椅子に座ったまま、デスクに肘を付き頭を乗せる。


「主任、お疲れですか?」

 昼から戻った、渡辺隆がチョコレートが入った袋を下げて戻って来た。渡辺隆二十五歳。そこそこのイケメン、愛想もいいしモテるであろう。さりげなく、袋を自分のデスクの引き出しにしまうと、机の上の一粒のチョコに目をやる。


「これは?」


「主任からよ?」

 私の変わりに、加奈が答えてくれて正直有難い。


「うわ―っ。ありがとうございます」

 渡辺は、チョコを持ち上げ、くるりと包装紙を広げぱくりと口に入れた。
 すぐに口に入れられる気楽なチョコに、少し笑えた。

「いいえ、一つだけで……」


「うわ―。これ、うめえ!」


 渡辺の満足そうな声に、私も少しだけ役目を終えた気分になった。

 バレンタインのチョコレートは、こんな程度でいいと思っていた。

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