厳島に散ゆ~あんなに愛していたのに~
美しき総大将
***


 周防(山口県)を中心に栄えた大内氏は、出雲(島根県)に勢力を張る尼子(あまご)氏とは長きにわたり対立関係にあった。


 その尼子氏を一代で大内氏に匹敵する戦国大名に引き上げたのは、稀代の知将として知られる尼子経久(あまご つねひさ)。


 だが経久は高齢により、孫の晴久(はるひさ)に家督を譲っていた。


 (息子は経久より先に病没していたため、孫に家督を譲った)


 大内氏と尼子氏は、主に石見銀山(いわみぎんざん;現在の島根県太田市)争奪戦で揉めていたのだが。


 この度は血気にはやる若い晴久が、隣国安芸(あき)の毛利(もうり)氏攻略を目論んで、兵を進めてきた。


 この当時の毛利家当主は、毛利元就(もうり もとなり)。


 元就は当時はまだ大内と尼子に挟まれた小豪族の一人で、単独では尼子の大勢力に対抗する術もなく。


 ついに我が御屋形様に救援要請をしてきたのだった。
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