誰も悪くないのに婚約破棄された悪役令嬢は人魚王子との恋に溺れます

エピローグ






 ある日、私は意を決してマルス様に聞いた。

「海でも『キスは永遠の愛の証』といわれているのでしょうか?」
「はあ?」

 私の執筆机に平然と腰掛けお茶を楽しんでいたマルス様に、私は説明した。

 陸では、キスをすると神の祝福を受けられること。そのため、人間は初めてキスした相手と添い遂げる必要があること。

 その常識を、マルス様は大笑いした。

「あっはっは! アンタ本当に可愛いわねぇ~、じゃあ何? 子供はシロナガスクジラが運んでくるとか信じているクチ?」

 そして、マルス様は教えてくれた。

 神の祝福とされている光は、人間の体内にもわずかに含有される魔力が他人の魔力に反応して起こる現象なのだと。一度反応した相手とはもう反応しないが、新たな浮気相手とは再び反応する。だから、それを戒めるためにそんな言い伝えが出来たのではないか――と。

 ちなみに、海の種族は魔法に慣れているから、そんな幼稚で恥ずかしい真似はしないらしい。こちらの神秘を幼稚とは……さすがマルス様、ということにしておこう。

「では、ミハエル様たちの結婚式での光は?」
「あれは演出。国王陛下から頼まれてさぁ、本当は結婚式で初めてキスするものなんでしょう? それをあの二人は事前に済ませてたから……建前ってやつよねぇ。アタシが裏で魔法でチョイチョイしてたのよ」

 このオネエは……裏でどれだけ暗躍を……て、ちょっと待って?

「それなら……先日の私とアトル様が……した時の光は……?」

 アトル様とは一度、人工呼吸という形だが口づけをしている。それに、魔法に長けているアトル様なら、そんな『幼稚』な現象をたやすく押さえられるのでは?

 マルス様は「んふふ~」と笑った。

「気分盛り上がったでしょ~。演出のアタシに感謝して――」

 話を聞きながら、私は部屋の中を見渡す。いつもの執筆部屋ではマルス様と二人きり。アトル様は替えのお茶を用意しに席を外している。さすがに今からすることを愛しの婚約者様に見られたくないわ。

 確認してから――私は容赦なくマルス様の長い足の間を蹴り上げた。ひょっ……と口を尖らせ見たことない顔をしているマルス様。これは口角が上がっても仕方ないわよね?

「ごめん遊ばせ。足が滑りましたわ」
「こんの……本当いい性格しているわね……」
「お褒めいただき光栄ですわ」

 結婚後も、この姑ごときオネエとは仲良くやっていけそうだ。





「ねぇ、ニカ。本当にこれでいいのかな?」

 空がとても青かった。手を伸ばせば、すぐ届きそうなのに。だけど触れることができない。なんか不思議ね。こんなにも近いのに。

「きちんと陛下の許可はもらったじゃありませんか」
「そうだけどさ……街の人々、びっくりしているよ?」

 私たちは空を飛んでいた。正確にいえば、竜の姿になったアトル様の背に乗って、空を泳いでいる。その大きな背にまたぐ私が眼下を見下ろしても、豆粒のようで表情までわからないわ。ただ、皆が唖然と空を見上げているみたいね。

 今日はとても良い天気だ。上から見下ろすジュエリアの王都は本当に綺麗。丘に作られた赤や白の建物。そして緑々しく空に背を伸ばす木々。行く先の丘の上には丸い屋根から金の十字架を伸ばした特徴的な城。振り返れば、息を呑むくらいに雄大な海の青に太陽の光がキラキラ反射している。

 これが、私の生きてきた街。そしてこれからも生きていく街。

 風に白いウエディングドレスが大きくなびいている。片手でそれを押さえながら、私はアトル様に応える。

「いいじゃありませんか。どうせなら大勢の人にお祝いされたいですし」
「お祝いねぇ……方便もいいところだけど」

 呆れた声で口を挟んでくるのは、アトル様の大きく揺れる尾に足を組んで横座りするマルス様。今日はいつにもまして豪華絢爛な衣装に身を包み、派手な化粧を今も施していた。

 付き人とは? 今日の主役は? それを聞いたらいけないわ。今チョップを食らったら、頭に乗せた真珠のティアラが壊れてしまうもの。

 だけど、軽口くらい許されるでしょう?

「ごちゃごちゃうるさい人たちに、私は異種族とこんなにも仲良いんですよーとわかりやすく演出してあげている私、とても優しいと思いますの」

 それに、マルス様はコンパクトを閉じて肩を竦めた。

「まったく~。うちに図太いお嫁さんが来てくれて嬉しい限りだわぁ」
「だてに年増じゃありませんからね」
「身体も図太くなるんじゃないわよ」
「善処します」

 そして、いよいよ城に着く。屋根の上にそびえる十字架のまわりを旋回していると、バルコニーでリカ様が大きく手を振っていた。藍色の落ち着いたドレスを纏うその手には、光る珊瑚の棒。何度もぴょんぴょん飛び跳ねていたその隣には、当然正装のミハエル王太子殿下の呆れる姿。

 ふふ、ミハエル様。斜に構えていられるのは今のうちですよ。披露宴での『舞』、楽しみにしてますからね。リカ様から、嫌々ながらの特訓の様子は聞き及んでおりますから。婚約破棄や『性格が悪い』と言い切ってくれたことへの復讐です。理由はどうであれ、婚約破棄に関して私に非はありませんでしたからね。その苦難の乗り越えて、この幸せを手に入れたのです。当然、私が望む『お祝い』をしてくださるでしょう? お礼の『ファンサ』も用意してありますからね。

 私が二人に手を振り返すと、アトル様は「じゃあ」と中庭に降下していく。そして、地面が近づくとパッとその巨体が消えた。二階くらいの位置から落下する私を、優しい腕が抱きとめてくれる。その相手は、もちろん私の結婚相手。金色の髪と瞳が美しい、少し面長の可愛い顔をした少年だ。今日は白と青のタキシードを身に纏っている。

「アトル様」
「ニカ」

 そして地面に足を着けるよりも先に、私たちは笑い合って。キスをして。顔を離しても、アトル様は火傷なんかしない。マルス様の魔法薬のおかげで、まだ短時間だけど、私たちは触れ合えるようになったから。

 そんな私たちの傍らには、有言実行の派手なオネエ。優しい顔で苦笑して――いるかと思いきや、

「さぁ、イチャコラはあとあと! アンタたちはこれからなんだから! ひとまず、大勢の前で異種族でも愛し合えるってこと見せびらかせてきなさいっ!」

 澄み渡る青い空の下に、マルス様の両手を叩く音が響く。

 その空があまりにも綺麗で、私は思わず笑みをこぼした。

                                     【完】
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