ちょうどいいので結婚します
第7話 ふりだしに戻る
「今日ですが、うちに来ますか?」
 
 仕事が終わると、誰もいないのを見計らって功至が声を掛けてきた。千幸は、緊張で声が震えたが、覚悟を決めた。今日で最後になるかもしれないと。

「いえ、どこか外で」
 千幸がそう言うと功至は、ふっと鼻を鳴らした。
「そうですか、ではそうしましょう」
 どこか、他意のある冷たい声だった。

 一緒にフロアを後にすると、エレベーターホールで多華子とすれ違った。その一瞬、功至と多華子は視線を合わせ、目で会話をしたのだ。千幸はそれを視界の端で捉えた。意図せず、ため息が漏れてしまった。もう、無理ではないかと思った。

「はは、大きなため息ですね。俺と食事に行くのは憂鬱ですか?」
 普段の功至からは考えられない言葉だった。千幸は、自分が今嫌味を言われたのだと気づいた。気づいても言い返せなかった。

「いえ、私はそんなことはありません」

 功至と向き合って座るのは、緊張して息も出来ないくらいだったが、いつも幸せだったからだ。ずっと、これからは当たり前になるのだと疑わずにいた時もあった。慣れないとって思ったけど、最後まで慣れなかったな。

 千幸はすぐ近くにある功至の顔を見上げることが出来ず、ぼんやりと後を着いていった。この日は、功至がそれに気付いて手を取ることも、歩幅を緩めることも無かった。
< 121 / 179 >

この作品をシェア

pagetop