腹黒梨園の御曹司は契約結婚の妻を溺愛したい
「後日、延暦寺から桜餅の焼印が入ったお財布が届き、調査結果で日向子さんの写真を見て両者が一致しました。……運命だと思いました」
びっくりしすぎて言葉が出なかった。
「しかも勧進帳のセリフを空で言えるほど、歌舞伎を愛している」
左右十郎に私のことを聞いて……その情報だけで私に近づいたわけじゃなかったんだ。

「信じてもらえるか分かりませんが、貴女となら結婚できる気がしたんです」

「左右之助さん……」
「それで御苑屋一門のためにも、できる限りのことをしてみようと思った。もちろん普通に交際を申し込んで、お互いに好きになって結婚するのが一番いい。でも、時間がなかった」
「それで週刊誌を利用した?」
目を眇めた左右之助さんが重々しく頷いた。
「貴女には申し訳ないことをしました」

「あの後、家系図を見てみたんですけど、柏屋って他に未婚の女性がいないんですね。鴛桜に娘さんが三人いるけど、みんな結婚してるし」
「柏屋に縁があって結婚できる立場の女性は、日向子さんしかいません」
「まさに契約結婚ってわけですか」
項垂れたのは一瞬で、左右之助さんはすぐにまた顔を上げた。まるで切腹を待つ武士のような潔さだ。重苦しい沈黙に、私はなんだか左右之助さんがどんどんまた可哀想になってしまった。

「私、あの日の勧進帳で……なんで左右之助さんが開眼したのか分かりました」
「開眼」
「偉そうに聞こえたらすいません。でも、それまではおじいさんの左右十郎の芸をなぞるだけで必死だったんですよね」
左右之助さんがコクリと頷く。

「御苑屋の苦境を背負う左右之助さんの覚悟が、義経を折檻してでも安宅の関を超えようとした弁慶と重なったように思えました」
日頃から誠実に芸に向き合っているのは私でも分かった。左右十郎の命の火が尽きようとする中、あの日の弁慶に彼の覚悟が表れたに違いない。自分の命を賭して義経を逃がそうとする弁慶の気迫と重なって、観客の心を奪ったんだ。

「私も心を打たれた一人です。素晴らしかったです」
戸惑ったように左右十郎の瞳が私を捉える。
「励みになります」
「私は美芳を継ぐことから逃げちゃいましたけど、左右之助さんは逃げられなかったんですもんね」
「逃げることなど考えたこともありません」
「まあ……もう、いいですよ」

全てのわだかまりが解けて、なんだか清々しい気持ちだった。
「私の意思で契約したんですし」
「……日向子さん」
色素の薄い瞳の中に、私の姿が映っていた。
「でも私に恋愛は自由なんて言うのは、二度と許しませんよ?」
「分かりました」
左右之助さんが私を見つめる瞳が、初めて私自身を捉えている。

「僕こそ、決して、日向子さんを裏切ったりしません」
左右之助さんが、私の手を握った。
「改めて……和泉日向子さん、僕と結婚してください」
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