ピアニスト令嬢とホテル王の御曹司の溺愛協奏曲
第四楽章 愛を語った男、愛を騙った男
「六花ちゃん、久しぶり。ネットでこんな動画を見つけたんだけど、これって六花ちゃんの演奏だよね? 他の誰にも分からなくても、先生には分かるよ!」

 そんなメッセージがスマホに届いたのは、私がストリートピアノで演奏してからわずか数日後のことである。
 送り主は、唯川先生。他の誰にも分からなくてもさすがに私を長く見てくれていた恩師の先生には見抜かれてしまうかと、思わず苦笑しつつ返信を送った。

「そうです。先生が即興演奏会を開いたピアノで私も弾いてみたんです。手がこれなのでボロボロの演奏になってしまったのは、どうか許してくださいね」

 ――そもそも、なぜこんなメッセージが送られてきたのか。
 その理由となる事態を私が把握したのは、ストリートピアノで演奏し終えた翌日のことだった。

「六花さん、誰かがあの演奏を録画してネットにアップしたみたいなんです。周囲への注意が十分でなかったのは私の手落ちで、本当に申し訳ありません。顔は出ていませんし、今のところ誰も六花さんの演奏だとは気付いていない状態です。削除させるように動くことも出来ますが、どうしたいですか?」

 動画を再生している状態のパソコンを持って言葉通り本当に申し訳無さそうな表情でレオが告げてきた事実に、私はぱちぱちと目を瞬かせた。
 真っ先に感じたのは、どうしてだろうという戸惑いだ。
 何度も言うが、私の演奏は「上手さ」という点で見れば完全に落第点だった。
 知らない人の演奏をわざわざ労力を割いてネットにあげるとすれば、大概は上手で感動したからこそ他の人々にも伝えたいという動機なのではないかと思うが、それにはどう考えても当てはまらない。
 だとしたら、逆によほど聞くに耐えないものとして投稿者の耳についたのだろうか。
 もしそうだったらいくらイップスとはいえ傷つくなあと不安に駆られた私だったが、動画についていた人々のコメントがふと目に入って再度きょとんとすることになった。

「演奏している人が本当に楽しんで弾いている感じがして良いね!」
「聞いたことのない曲だけど、この人の自作曲かな。私は好きだな!」

 そんな好意的なコメントが、英語でいくつも書かれていたのだ。

「これは、どういう……」

 人々の言葉の真意が掴めなくて思わず言葉を失う私に、レオはさも当然とばかりに訳知り顔で頷く。

「指に不調があっても、六花さんの演奏の本質は損なわれていないということですよ」
「本質?」
「ええ。もちろん技術的なところも高い評価を受ける要素でしょうが、音楽は門外漢である私個人の意見を言わせてもらうと、六花さんの演奏で一番好きなのは溢れ出る情感なんです。聞いていると、頭の中にぱっと美しい情景が広がっていくような感覚。心がどんどんと引き込まれていって、音楽の世界の中に没入していく感覚。まるで何だって出来てしまいそうな力が湧いてくる感覚さえしてきます。これは六花さんの天賦の才であり、多少のミスをしたとしても演奏の中から消え去るようなものではないでしょう。昨日だって、私は六花さんの演奏に心を掴まれましたしね。だから、良い評価を受けることは驚くべきことではありませんよ」

 ……ありがたい賛辞だけれど、でもそれはさすがに褒め過ぎだと思うわ。
 そうは思いつつ、彼の言葉は上辺のものではなく真心から発せられたものだと伝わってきたし、本当に私の演奏から何か良い波動を感じてもらえたならば嬉しいと思う。
 ざっと確認した限り動画についたコメントは総じてポジティブなもので、とりあえず何か対応を取ったりはしないことに決めたのだった。

 そうして静観してみた結果、私が演奏者と気付かれることはなく、しかし演奏は好意的な評価とともに少しずつ拡散されるという状況が続いていた。
 そんな中での唯川先生からのメッセージだったわけだ。演奏者を特定した最初の人物が先生だったのはさすがである。
 私が演奏者だと認めたことに「やっぱりね」と返してきた先生は、続いてもう一通メッセージを送ってきた。

「実はニューヨークに来ているんだけど、もし良かったら会えない? ちょっと直接話したいことがあって」

 良いですよ、と私が返信するとすぐにとあるカフェのホームページのURLが送られてきたので、私はタクシーを捕まえてすぐに店へと向かった。
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