アリスズ

血脈

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「アルテンが…国に帰るそうだ」

 酒場の席で、キクがそう言った。

 こうして、彼女と食事を共にするのは、何度目だろうか。

 ダイの頭の中に、キクの一番弟子が浮かぶ。

 確か、彼女の弟子の中で、唯一の貴族のはず。

 肩書きを持たぬ、しかも女に剣を習おうとする貴族は、いまのところ他にはいないようだ。

 道場では、キクに継ぐ強さとして、ダイの部下たちにも慕われている男。

 領主の息子と聞いていたので、いつかは帰らねばならなかっただろう。

 ただ。

 彼女の声には、珍しく寂しさが含まれているように思えた。

 別れも出会いも、あるがまま。

 縁があれば、また会える。

 そう考えているキクにしては、少しばかり今回の別れは意味が違うのか。

「道場で…」

 思い出すように、彼女はため息をつく。

「道場で…私に頭を下げるんだ」

 そこから先は、ダイは呆然と話を聞いているしか出来なかった。

 許されるものならば、ウメをさらってでも領地に連れて帰りたい。

 けれど、彼女は都から離れたがらないだろう。

 だから、どうか。

 どうか、ウメをよろしくお願いします、と。

 貴族の男が。

 床に額をこすりつけんばかりの勢いで、キクに頼んだという。

 乏しい想像力のダイの脳では、とても追いつけないほどの光景が、そこにあった。

「馬鹿な男だ…」

 呆然としているダイに、キクは寂しげに笑うのだ。

「私は、ウメと生まれる前から、よろしくやってるっていうのにな」

 何を、今更。

「悪いな…変な話をして」

 キクは、ため息をこぼしかけた唇を、笑みへと変えた。

「いや…」

 誰にでも、聞かせられない話を、彼女は自分にしたのである。

 キクは。

 自分に甘えてくれたのだ。
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