唯一無二のひと
喧嘩して。


布団に横になったまま、秋菜は右手を伸ばし、枕元に置いた携帯を手元に引き寄せる。


(もう、8時かあ…)


カーテンを締め切ったままの部屋の中。


秋菜はぼんやりと見回す。


白地に赤い小花模様の壁紙。
ベージュ色のタンスに貼られたハート形のピンクのラメのシール。


全てが馴染む。

ここは14歳の頃から秋菜の安全地帯だった。


ふう…と溜息をついて秋菜は布団を頭から被った。


夕べの喧嘩……


なぜあんなに突っかかってしまったのだろう。

自分でもわからない。




ーーだからあ。
なんでもないって、どんだけ言えば分かってくれるんだよ。
何て言えば、信じてくれるんだよ…



秋菜が差し出したプリクラを前に、豪太はうんざり顏で言った。


ーーこないだ、店の研修の後、皆でゲームセンターに寄って撮ったんだよ。
皆、若いからノリで色んなパターンで撮ったんだ。
他の奴らと撮ったのも店のロッカーにあるよ。
なんでこれだけここにあるのか、分かんねえけど。



ーーじゃあ、このハートマークは何?
シノとミホってどういうこと?


ーーああ、ミホね…


豪太が『ミホ』の名前を口にした瞬間、彼の口元がフッと緩むのを秋菜は見逃さなかった。


ーーミホはただのバイトの大学生だよ。
誰とでもタメ口で喋っちゃうような子なんだけど、明るくて気が利くから、憎めないんだよね。
若いんだよ。
秋菜とは感覚が違うんだ。



豪太は、何気なく言っただけだ。
悪気など少しもなく。

だからこそ、夫の言葉は疲れた心の妻をひどく傷付けてしまった。



…ミホは若いんだ、秋菜とは違うんだと豪太は確かに言った。



秋菜の胸の中で押さえ込んでいた何がか黒い塊となって渦を巻く。


暴れだした感情を押さえつけることが出来なかった。

気が付くと涙声で叫んでいた。


普段大人しい秋菜が大声を出すなんて、滅多にないことだった。

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