エゴイスト・マージ
転機

「おー!おった、おった」

大きな声が聞こえて、反射的に振り向くと
そこに蔦さんがいた。

「蔦さん~お久しぶりです」

ねーちゃん、久々やなと手をブンブン振って
近づく様はちょっと笑えて、この前に見た
あの蔦さんと、とても同一人物には思えない程
明るかった。

「なーなー最近、姿見ぃひんけど、
醒ちゃんと、どないかあったん?」

「えと、いえ……」

何て言えばいい?

別の男と付き合え、俺に構うなとも
そう言われたと?

「あーゴメン。言いにくかったら言わんでエエ」

「ごめんなさい。何て言っていいのか分からなくて」

蔦さんに又、気を遣わせてしまった。

「それって、この間ケガした時に付き添ってきた
っていう男に関係ある?」

「え?」

何故、裄埜君の存在を蔦さんが知ってるの?

「あ。イヤイヤたまたま見掛けてん。
男の方は遠目やったからよく分からんかったけど
ねーちゃんの方は何かちょい足、引きずってたから
アレって思てな」

「そうなんだ。ははは……変なトコ見られちゃいましたね」

「転んだんか?」

「そんなとこです」

ふーん、と少し様子を見るよう感じだったけど、
それ以上の突込みはせずに、そうかと言ってくれた。

上手く誤魔化せてるといいんだけど……

もし先生の耳にでも入ったら

……入ったら?

私は少し笑いが出そうになった。

何も変わらない。そう変わらない。
先生は私なんてどうでもいい存在だもの。

「ねーちゃん?」

「そういえば、蔦さん何か用事でも?」

私は、蔦さんの存在を思い出し慌てて
質問した。

「用事っていうか、最近見なかったから
気になって、醒ちゃんに聞いても知らんって
言うし」

「…………」

その言葉は私に話す切っ掛けを促した。


「別の人と付き合い始めたんです」


数秒の間をあけて蔦さんは、

「は?」

と、聞き返してきた。


「それって、俺が見た男?」

「……多分」

蔦さんは暫く何か言いたげに私のことを
じっと見ていた。

「それでええんんか?アンタ?」

「良いも悪いも」

私に選択権は少なことも先生に関しては無い。

「もしアイツがダメやから他の男にした。
ていうのはナシやで?相手に悪いしな」

私の心を見透かしたように言われて
私は内心ドキリとした。

(違う、私はそんな理由なんかじゃなくて
裄埜君を選んだ。裄埜君が好きで……)

好きで?

私は違和感や疑問をかぶりをはらって
振り落とした。

「ねーちゃんは、そんないな事せんわな」

―――蔦さんは、本当鋭い。

怖いくらい、人のことをよく見ている。


「折角、醒ちゃんを救える子が出てきたと
思ったのに、残念」

「……蔦さんじゃダメなんですか?」

突然、蔦さんが大声で笑い出した。
それはおかしくてたまらないっていった風に。

「つ、蔦さん!?」

「アハハハ、どういう意味で言ってるのか、
分かってるけど……ヒー、ねーちゃんオモロイわ」

お腹を抱えて大笑いしてる姿に、暫し呆然となる。
私、そんなにおかしなこと言ったつもりはないけど?

「とっくに」

「はい?」

「俺が女やったら、とっくにどうにかしてるわ。
アンタなんか出る幕もないで?」

笑いながら言ってるのに、その目は笑っている
ようには全然見えなくて。

「…………」

「なーんて。ねーちゃん、やっぱエエわ~」

と、また笑いこけてしまった。



蔦さん

先生を小さい時から傍で見てきた人。

明るくて、面白くて、
……それでいて不思議な感じがする人。

ただ、接していて一つ思うところがある。
この人は先生と違う意味で、本性を他人には
絶対見せない人だと思う。

人懐っこさで分かりにくいけど、多分そう。

それは他人と混じって育ってきた所為なのか、
もっと別の理由があるのか、私にはわからないけど。


それでも世渡り上手そうな蔦さんが
羨ましくも思う。
不器用な私にそんな器用な真似は
できそうにない。



「…………」


化学教室の前。

手には何かのファイルらしきモノ。

『じゃ悪いけど俺、用あるから
これ渡しといてくれへん?』

と、戸惑う私に半ば押し付けるように
手渡された。


これをどうしろっていうの?

とにかく見つからないようにこっそり
教壇に置いて帰ろう。

そう思って、私は教室の扉をゆっくり開け、
中に先生がいないことを確認して足を踏み入れた。


数歩、歩いたところでソレを発見してしまった。

心臓が止まるかと思った。

戸口の左、机のちょうど反対側で、
カーテンが風にはためいてるのに見遣った、その下。

先生が本を持ったまま、居眠りをしていた。

スラッと伸びた足を無造作に投げて、
窓枠に肩肘を付いたまま。

風に吹くたび、カーテンと髪が揺れ、
銀色の髪がキラキラと光っている。

(綺麗……)

その姿に一瞬、見とれてしまったけど、
思い直して
ファイルを机に置きソロソロと出口に戻る。




「……まるで、泥棒みたいだな」


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