りんどう珈琲丸
 マスターはいつも音楽を聴いている。わたしはあまりよくわからないけど、たいがいは外国の古い歌。マスターはおそろしくたくさんのレコードとCDを持っていて、それをいつも愛おしそうにプレーヤーにセットする。わたしはそれを見るのが好きだ。ボブ・ディランもビートルズもビーチボーイズも、わたしはここで知った。わたしのiPodには、Greeeenやケツメイシしか入っていないから、もしここで働かなかったらそんな音楽はずうっと聴かなかったと思う。今日も知らない音楽がかかっている。女の人。日曜日の午後みたいな歌声だ。


「マスター、これ誰?」
「んっ? 」
「これ、今歌ってる人」
「シャーデー。目を閉じて聴いてごらん。声が変わる。なぜだかこの人には喜びも悲しみも音楽に変える力があるみたいだ。世界にはときどきそういう歌を歌える人がいる」
「目を閉じたら仕事ができないよ」
「仕事もなにも、お客さんがいないんだからやることないだろ。こんな時は音楽を聴いたり本を読んだりしていたらいいんだ。宿題があるならやればいい」
「宿題なんてないよ。もう高校生だよ」


 今日もわたしの放課後は過ぎていく。不思議な心地よさで。学校で友達と他愛もない話をするのは楽しいし、家でのんびりするのも好きだ。でもそれとは全く別の意味で、ここでは自分がありのままでいいと思えるような安心感がある。うまく言えないんだけど、この場所からわたしの知らない世界が広がっているのを見るような居心地のよさ。たぶんそれは、マスターみたいな人が今までわたしのまわりにいなかったからだと思う。

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