ホットケーキ続編のさらに続編【玉子焼き】
3.吉岡の話
 青いペンキが所々はげた板張りのウェスタン風の建物の外に、大きな馬車の車輪が立てかけてある。その前に小さな黒板が立っていて、『本日のランチメニュー』とかわいらしい文字でステーキとハンバーグのメニューが並んでいた。湖山はチラリと見ただけで中に入っていく。吉岡はその後をいつまでも黒板を振り返りながら入っていった。
 昼時の小さなレストランは混んでいて、冷房が直接に当たる小さなスペースに置かれた椅子がきゅうきゅうに並んでいる出入り口に二人で待たされた。吉岡は壁に掲げられた大きな黒板の小さな文字を追いながらあれこれ言っている。

 「よく頑張ってるよな。」
 と、湖山はその横顔を見ながら言った。黒板の文字が小さいから見えない、とまた文句を言った吉岡は不意に投げかけられた言葉をどう解していいのか分らない風に湖山を振り向いた。それは、レストランの繁盛振りを言っているのか、それとも小さな文字を懸命に追っている自分の食い意地を言っているのだろうか、という顔をしている。
 「吉岡君さ、正直、こんなに長続きすると思ってなかった。」
 「僕?僕のことですか?」
 「他に誰がいるのよ。」
 いや、レストランのことかなって、と照れ笑いを浮かべて吉岡は頭を掻いた。洗いざらしのシャツにジーンズを着た店員は安っぽいカウボーイハットに手をやって、こちらへどうぞ、と二人を空いた席に案内する。

 「しんどいよね、アシスタントって。」
 「うーん。でも、見習いの時期なんてどんなんでもしんどいもんだろうって思うから。」
 「そうだね。でも、それが分るのって結構一人前に近いんだよな。そうすると、いつまでもこれやってんのか、って思ったりもするだろう?」
 「んー、そうですねえ…まぁ、うん」
 濁した言葉の先を待ってやると、吉岡は小学生のような顔をして言った。
 「俺んちね、オヤジが左官職人だったんですよ。職人ってのはーってオヤジがいつも言ってたんです。見習いをしっかりやんねえとろくなものになれねえとか、それに、結局一本立ちしたって、いつまでも見習いみたいなもんだって。先の先があるんだっていつも言ってました。」
 「そうか…。立派な親父さんだな。」
 「うん。そうですね。…って、なんか身内のこと、あれだけど。」
 冷えた水をゴクリと一杯飲んで、吉岡は続けた。
 「そん時はね、分らなかったんです。古くさい事言うオヤジだよな、と思ってたし、この仕事も、正直な話、毎度、毎度、大沢さんと比べられると、だったら全部大沢さんにやってもらえよって思ったりしたし、つか、ほんとに、『ダメだな、俺』って思う事も多くて。でも、一昨年ね、オヤジが死んで、それから急にオヤジの言ってたことを思い出すことが多くなって、死んだオヤジに顔向けできないようなこと、やっちゃいけないって思うようになったんです。オヤジは多分跡を継いで欲しかったと思うんです。カメラを弄くりまわすようなことしやがって、って酔っ払って言ってたこともあったし。でも、だからこそ、途中でやめたりしたら、あの世でオヤジに顔向けできないしって思ったし、大沢さんはそらすごいけど、俺は俺で頑張ればいいんだし、って思えたんで。」

 吉岡の父親ならまだ若かっただろう。息子が一人前になる姿を見たかっただろうに、と湖山は吉岡を眺めた。吉岡は湖山と目が合うと、うひひ、と笑って「腹減ったー」と若者らしくぼやいて身体をくにゃりと丸めた。

 身体を喪った後に、ちゃんと残った彼の思いが息子へと伝わったのはそれは血のつながりだろうか。愛する存在に伝えたいことは、いくらでもある。伝えても伝えても伝えきれない事があるけれど、それでもいつか、ちゃんと伝わるのなら、こうして吉岡が彼の父親から受け取った何かのように、自分の想いがいつかちゃんと伝わるのなら、たとえ今、伝わらなかったとしても伝えてみようとすることは、きっと無意味ではないのだ、と湖山は思う。そしてふと、自分と大沢の年の差を思えば、きっと先に逝くのは自分の方なのだと、これまで考えたこともなかった事を思った。会った事もない吉岡の父親の面影はなぜなのか大沢の瞳を持ち湖山の中で揺らいだ。



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