ホットケーキ続編のさらに続編【玉子焼き】
2.カメラマンのアシスタント
 薄い木製の細いパネルを蛇腹状に重ねたパーティションはいかにもクリエイティブ系と呼ばれる業界の会社らしく個性的でスタイリッシュだ。大きな窓のブラインドごしに差し込んでくる光をパーティションの向こうにまで透かせて柔らかな空間を作り出していた。
 社内会議や来客時に使われるその万能なスペースで湖山と吉岡は次の撮影の打ち合わせをしていた。一通り終わって安堵のため息をついた湖山に吉岡が少し声を落として言った一言に湖山は思いの外うろたえた。よりにもよって大沢がそのパーティションに影を落とした時だった。
 「湖山さん、最近なんか…」
 「うん…?」
 「フェロモン出てますね」
 「ふぇ・・・え?」
 「このこのー」
 大人をからかうもんじゃないよ、と笑ったけれど、動揺していた指先がクリアファイルを取りあぐねて中の紙をばら撒いてしまった。
 「ほら、キョドってる。」
 その時、パーティションを通り過ぎたはずの大沢が、後ろ歩きするように戻ってきて、パーティションの上から覗き込むように、
 「何イチャついてるの?」
 と顔を出した。吉岡は爽やかに笑って
 「ほらー、湖山さんが無駄なフェロモン出してるからですよー。ね、大沢さんもそう思うでしょ?」 とにこやかに湖山の取り落としたファイルを綺麗に重ね、湖山に手渡しながら言った。大沢はそれには何も答えずに部屋の奥へと消えた。

 大沢がパーティションのこちら側を覗き込んだ瞬間に高鳴った自分の鼓動を、吉岡は聞いたろうか?意味もなくファイルを手もち無沙汰に揃えて、打ち合わせスペースを出ながら、
 「そんなに違う?」
 と、湖山は吉岡を振り向いて尋ねた。
 「え?何がですか?」
 吉岡は鼻歌交じりに湖山の後を歩いて来て、突然の質問にキョトンとした顔をした。まるで高校生のような出で立ち。短髪をつんつんと逆立てている。元気印でありながらどこか神経質そうな吉岡が毎朝その髪を間違いなく逆立ている姿を容易に想像できる。
 「…だから、その…さっき…」
 「あぁ、フェロモン?ええ。まぁ、僕が気付く位ですからね。」
 それ以上に訊くのも気が引けて、湖山は少し首を傾げ「そう?」と答えると自分のデスクに戻った。大沢ほどではないにしろ、アシスタントという仕事をする以上はある程度気が利く方がその仕事には向いている。吉岡も、多分同じくらいの年令の男性よりはよく気がつく方だろう。彼が「僕が気付く位」という表現をしたのは、大沢のアシスタントぶりが優れている為によく引き合いに出されるからなのだ。そうやってあちこちで大沢と比べられて、気が利かないだの、使えないだのと罵られながら、よくぞここまで続いたもんだと湖山はひっそり思っていた。

 窓の外でプラタナスの大きな葉が揺れている。先ほどまで鳴いていた蝉はもう鳴いていない。どこか遠くへ飛んで行っただろうか。
 内線で吉岡の番号を押す。
 「吉岡くん、昼飯、一緒に行かない?良かったらその足で行っちゃおうよ。」
 「あぁ、ええ。いいですね。」
 笑った吉岡が部屋の壁側から背伸びをするようにこちらに手を振っていた。

< 2 / 12 >

この作品をシェア

pagetop