ホットケーキ続編のさらに続編【玉子焼き】
7.どこまで言葉を重ねたら
 「湖山さんは、」
 目を逸らしたまま、大沢はやっと何かを伝える気になったらしかった。少し言うのを躊躇って、かすれた語尾を払うような咳をひとつする。それから、息を飲むようにこくりと小さくうな垂れてから続けた。
 「分ってない。好きな人に、好きって、そう言える事だってほんとはどんなにすごいことなのか。心の中で思っていることを全部好きな人に打ち明けるということが、どんなことなのか、湖山さんは、分ってない。」
 一息にそう言った大沢はまだ静かに俯いていた。
 (何だよ…?)
 好きという言葉の意味も重さもそれを伝える事の大切さも分っているつもりだ。好きだと言えなかった、自分のものになって欲しいと言えなかった、その一年は何だったんだろう。その言葉の重みを知っているから、大切さを知っているから、だから言えなかったはずの、自分の誠意や自分の真剣さをまるで無かったことにされたみたいだった。

 押し黙って不満を伝える。でも、とうに気づいているのだろう。大沢は小さな溜息をついて肩を上下し、足を摩る手を少し大きく動かした。

 「俺は"あの時"、湖山さんに好きって言おうとした。全部を投げ打って、それでも構わないって思えたから、好きだって伝えることができたらもう、他に何もいらないって思えたから。だけど、湖山さんはあん時、俺に好きだって言わせてくれなかったよね。そのくせ、ずっと俺と一緒に仕事したい、って言ってくれた。湖山さんがあの時俺に好きって言わせてくれなかったのは、俺が湖山さんのこと『そういう意味で』好きなことに気付いてたからだし、湖山さんは『そういう意味では』俺の事好きじゃなかったからだよね。あの時の俺たちの関係を壊したくなかった。そうでしょ?」

 そうなんだろうか?それとも、そうじゃない、と言えるだろうか。ずっと一緒にいたいと思った。失いたくないと思った。その想いがどこまで大沢の言う「そういう意味」であったのかと自分に問えばただ初めての気持ちに揺らいでいる自分を思い出して胸がぎゅっと痛かった。

「湖山さんには、分んない。俺がどんなに湖山さんのこと好きだったか。どんなに、──どんなに覚悟を決めてあんたのこと好きだって伝えようとしたのか、ぜってー分らない。」

 いつの間にか、大沢の手は足を撫で摩るのをやめて、硬く強く足の親指を握り締めているのだった。力を込めた指先が白く、余った力に手が少し震えているように見えた。分っていない、というのなら、大沢も同じだけ分っていないのだ。こんな大沢を見ることで、どれほど湖山が無力さに打ちひしがれるのか、ということを。

 どうしたら、伝わるだろうか。言葉を重ねて、重ねて、どこまで重ねたら。そして湖山は自分の言葉の拙さをよく知っているのだった。手の温もりや肌の温もりが伝えることは、いつからか言葉ではなくなって、ただ欲望になってしまった。それは、悪いことではない。でも、他に伝える手段が拙いのだとしたら、自分には何が残されているのだろう。ただでさえ下手な恋を重ねてきただけの自分が、思いも寄らない気持ちに気づくまでに、そして気づいてからも、その気持ちに名前をつけることなんて出来はしなかった。もしも、この気持ちが「恋」なのだと知っていたなら、そしてそれを知った時「君に恋をした」と伝えたなら、一体何が変わっていたというのだろう。湖山がその気持ちに気づいたのは、大沢を失いかけた、やっとその時だったというのに。

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