デビュー

金融屋の男がサインをした紙をカバンに詰め込み、借用書がテーブルの上の、ごっついガラスの灰皿の上で燃え尽きるのを最後まで確認し、私たちは、そのマンションを後にする。

「なんか食うか?」

荒木が、そう言うので、荒木がよく行くというイタリアンレストランに行った。

確か私は生ハムとアンチョビのパスタを注文したと思う。
生ハムは好きな食べ物なので、メニューが豊富で悩んでしまうと、生ハムを使った料理をオーダーする事が私の癖みたいなもんだった。

「どうよ?俺、カッコイイ?」

荒木は、パスタを、ほおばりながら私に言った。

「凄いね。私の知らない世界を見た気分だよ。
って言うか、なんで、余分にお金払ったの?その分、私が返すって事でしょ?」

私は、その事ばかりが気がかりだったので、少し、きつい口調で荒木に言う。

「別に。俺が余計な事をした分は返す必要ないよ?」

「だって、それじゃ、荒木さんが損するんだよね?そんな、美味しい話があるとは思えないんだけどな。
いくら私が荒木さんのとこで働くって言っても、わざわざ、そこまで身銭を切るのは怪しいと思うんだけど?」


「そう?別に俺、損したとは思わないけど」

「どうして?」

「あゆみちゃんが、うちで働くことで、俺は、今回、余分に払った分なんて余裕でチャラになるくらい、稼がせてもらえるって事だよ。俺の財布の中身をこれから稼ぐのは、あゆみちゃんなんでね」


そうだ・・・

この世界はそういう世界だったんだ。

私が働く事で、荒木は私に貸した金以上の利益があるんだ。

けれど、私は後に、この業界に深く関わる事になるが、こうして、これからデビューさせる女の子に、これだけ腹を割って、余計な事まで話す事は、まずない。

たいていは、その女の子を出来るだけ、その気にさせ、その子が嫌な顔せずに撮影に挑んでくれるようにホスト的な役割を担うことが、ほとんどだ。

後に荒木に、「何故、私にあの時、私をその気にさせるような営業トークをしなかったのか?」と聞いたら「なんとなく」と言われた事があった。


そして、その日から、3日後、私はアダルトビデオに出演する日が決まった。

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