紫陽花と君の笑顔


 雨がしとしとと降る6月、舞桜は、静かに息を引き取った――


 まだ朝日が昇る前、見回りに訪れた看護婦が見つけたという。




 俺たちに、別れの言葉はなかった。




 あいつは、闘うって言ったのに。


 その会話から間もなくして、この世を去ったというのか。


 つい昨日の会話を思い出す。





 「玲くんは、みんなを幸せにできる力があるよね」





 玲くんとは俺のことだ。


 小清水玲太という名前から、舞桜――林藤舞桜――にはそう呼ばれていた。


 突然の舞桜の言葉に、俺は驚いた。





 「何言ってんだよ。俺が幸せにできるのは、舞桜だけだぞ」





 「うふふ、嬉しい。……でも、そうじゃないの」





 「は? 何が違うんだよ?」





 「そのうち分かるよ。……きっと」





 目を伏せ、胸に手を当てて微笑んだ彼女を、不思議に思ったのは言うまでもない。


 どうして、急にこんなことを言い出したのだろう。


 それを今、死んでしまった彼女の前で唐突に思い出してならなかった。




 ――人は、死を目前にすると普段と違う行動をとるという。




 何かの記事で見つけた言葉。




 どうしてそのときに気付いてやれなかったのだろう。


 どうして、"そんなこと言うな"って言えなかったのだろう。


 後悔の念が、渦巻いた。


 舞桜がこの世を去ったことが、未だに実感がわかない。


 俺の両親が舞桜の死を悲しむ最中、俺はただ、呆然と立ち尽くしていたことを覚えている。





 「あいつが……死んだ……?」





 呟いた途端、愕然とついた膝にようやく一粒、また一粒と涙が零れ落ちる。


 面布を取り除いた舞桜の表情は、とても綺麗だった。


 声をかければ、その瞳はまた開くのではないか。


 けれど、そんな舞桜の手は驚くほどに冷たい。


 俺の握った手痕が、元に戻ることなくその白い手に残った。


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