僕らが大人になる理由


母が、前髪をかき上げて溜息をついた。

ずし、と胸に鉛が落ちた。


「…あなたは、本当に恵まれているのよ」

それは、諭すような優しい声ではなく、嫌味を言うかのような低い声だった。

「…普通じゃ、ありえないのよ、こんな、楽な生き方。分かってるの?」

何も言い返す言葉が無かった。


「こんなに恵まれた環境にいて、こんなにお金も何不自由なく使えて、将来も用意されて、あなたはちゃんと、それに見合った能力を、才能を、いつ私たち親に見せてくれるの?」

「……奥様、それはいくらなんでも…」

「内山さん、3階の物置き部屋掃除してきてちょうだい」

「……かしこまりました」


内山さんは私をかばおうとしてくれたけど、母の冷たい一言に、従うしかなかった。



「…バイトごっこはどうだった? まさか、少し社会を見た気になってるんじゃないでしょうね?」

「……ごっこって…さっきから言うけど…」

「ちゃんと働いてそのお金で暮らしたって言いたいのね? あのね、じゃああなたは何もその仕事でミスしなかったの?」

「したけど…」

「したわよね? でも許されたのよね? あなたの失敗の責任をとってくれる人がいるから。フォローしてくれる人がいるから。怒ってくれる人がいるから。説明してくれる人がいるから」

「………」

「いないのよ。一人なのよ。基本、働くってことは。許されることなんて、無いのよ。それも知らずに、何かを得た、なんてバカなこと思わないでちょうだいね」


…正論過ぎて、何も言葉が出てこない。

鉛が、また胸の中に、またひとつ、またひとつと落ちてくる。

…重い。とてつもなく。

頭の中が、ぐらぐらする。

自分の中で培ったわずかな自信を、すべて踏みにじられた気分だ。



“あなたはちゃんと、それに見合った能力を、才能を、いつ私たち親に見せてくれるの?”



才能?

能力?

無いよ、そんなの。

あたしに良い所なんて一つもないよ。

だって落ちこぼれだもの。

兄とは違うもの。

姉とは違うもの。

あたしだけ、何もかも劣っているもの。


あたしが、誰かに何かを与えることなんて、できないもの。

所詮、あたしは――…

< 145 / 196 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop