先生がくれた「明日」

事件

次の日の土曜日、事件は起きた。



ピンポーン。



「はーい。」



跡部先生だと思ったんだ。

私は、返事をして玄関の扉を開けた。



「久しぶりだね。莉子。」



その声に、背中まで鳥肌が立った。



「な、何しにきたんですか。」


「何をしに?歩を連れて帰るために来たんだよ。」


「帰ってください。」


「そういうわけにはいかない。」



閉じようとした扉の間に、その人は器用に靴を挟んだ。



「いるんだろ、歩。」


「何を……今さら。」



この人は、歩の父親だ。

私とは血の繋がりのない人。

私の大嫌いな人。



「莉子姉、みっちゃん来たの?」


「歩!来ちゃだめ!」


「ほら、歩。おいで。お父さんと一緒に行こう。」



扉を強く押されると、私が力で敵うはずもなく。

あっけなく、扉の間にその人は体を滑り込ませる。



「歩、ほら、行くよ。」


「……行かない。」


「何を言ってる。うちに来れば、こんなみすぼらしい恰好じゃなくて、いい洋服が着られるぞ。それに、おいしいご飯も用意する。」


「行かない。」


「行くんだ、歩。」



歩は、その人に簡単に抱き上げられて。

じたばたしても、無駄だと分かったのか。

物わかりのいい歩は、抵抗をやめた。



「莉子姉も、一緒なんでしょ?」


「お前だけ連れて行く。」


「え、そんなのやだ!莉子姉と一緒じゃなきゃやだ!」


「騒ぐな。ほら、行くぞ。」


「やだ!やだ!!」



駄々をこねる歩を、連れて行ってしまうその人を。

私は、呆然と見つめた。

ぼうっとしているうちに、その背中は階段を降りて行って。


私ははっとして、踊り場から身を乗り出した。



「歩!歩っっ!!!」


「莉子姉!莉子姉ーーーっ!!!!」


「歩っっっ!!!!!」



どんなに叫んでも、その人は振り返りもしなかった。


どんなに追いかけて、歩を取り返したかったことだろう。

でも、でも―――

私には、そんな権利はない。


彼は歩の実の父親なんだ。

あっちの方が、無論経済力もある。


私は、ずっと恐れていたんだ。

いつか、こんな日が来るのではないのかと。

私の大事な、大事な弟を、連れに来るのではないかと―――



「あゆむーーーーっ!!!」



誰もいなくなった道路に向かって、私は叫んだ。


こんなにあっけなく、引き離されてしまうなんて、思いもしなかった。

いつか、その日が来るとは思いながらも。

それが、今日だなんて。

こんなに、こんなに一瞬の出来事だなんて……。



あまりの動揺に私は何も考えられなくて。

その足で、ふらふらと家を出てある場所を目指した―――
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