先生がくれた「明日」
膝に深く顔を埋めていると、どこからか足音が近付いてきた。

先生かな、と思って、少し顔を上げる。

階段を登り切って、こっちに向かって歩いてくるのは、やっぱり先生だった。



「わっ!」


「うわあっ!」



わざと急に立ち上がって、先生を驚かせる。

先生は、案の定大声を上げて驚いていた。



「なんだ、こっちに来たらまずいよ莉子。」


「来ちゃ、だめだった?」


「だめじゃないけど……。どっちにしろ今から、行こうと思ってたんだ。今、そこのスーパーで買い物をしてきてね。昼、まだだろ?歩の好きなオムライスの材料を買ってきたぞ。」



先生がふいに、そんなことを言うから。



「……おい莉子、どうした。」



ずっと、ずっと我慢していた涙が。

ぽろぽろと零れた。

先生の前でも、決して泣かないようにしてた私。

あの夜も、泣かなかったのに。



「莉子。どうしたんだ。」



そうやって、優しい声で。

心配してほしかったんだよ。

それだけで私は、満たされる―――



「莉子。」



私の名を短く呼んだ先生は、玄関の扉を開けて私の手を引いた。

扉の中に入ると同時に、先生は私を、しっかりと抱きしめた。



「なんだ。何があった。……お前が泣くなんて、余程のことなんだろ?」


「……ゆ、む、……」


「え?」


「あゆむが、……連れて行かれちゃった。」


「……何だと。」


「歩の父親がっ、……迎えにきた、のっ、」



途切れ途切れに言うと、先生は言葉を失くした。

私を抱きしめる腕に、ぎゅっと力が入ったのが分かった。



「行こう、莉子。」


「……へ?」


「取り返しに行こう。」


「先生……。」



新たな涙が、次から次へとこぼれて、先生のシャツを濡らした。



「無駄だよ、先生。」


「なぜ、」


「先生だって、分かってるでしょ。……歩の実のお父さんだもん。どうしようも、ないのっ、」



先生はもう一度黙り込んで。

私の肩に、顔を埋めた。


そして私は驚いた。



「先生、……泣いてるの?」



跡部先生は、息を震わせていた。

どうして、と思うけれど。

その息が肩にかかって、すごく温かかった。



「くそっ!!!」



先生の上げた大声。

初めて聞いた、悔しそうな声。

その声に、心が震えた。


私はね、先生。

いつもいつも、笑顔で頑張っていたけれど。

それは、歩がいたからなんだよ。

歩のために、と思うから、何もかも頑張れた。


だけど、その歩を失ってしまったら。

私は、何のために頑張ればいい?


教えて、先生。

私、これからどうやって、生きていけばいいの―――
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