過ちの契る向こうに咲く花は
 伊堂寺さんはそんなシンプルでいて明るい部屋の、亜麻色のソファに腰かけていた。そこにラブラドールのような大型犬がいたら、海外の理想的な家族、なんてモデルになれるんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。
「ぼーっとしてないで座れ」
 一体私はどこの世界に足を踏み入れたのだろうか。そう思いながら、なんとなく指示されたであろう一人掛けソファに腰を落とす。鞄を持ったままなのに気がついて、慌ててハンカチを取り出し、床へと敷いた上に乗せた。

 ジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めた伊堂寺さんは、やっぱり雄の匂いがするひとだった。見惚れそうになるものの、生きる世界が違うひとだと改めて思い直す。
「あの」
 さすがにここまで来て、事情がわからないのは嫌だった。とりあえず話をしなければ、と口を開くと、彼の目が細くなる。
「お前の部屋は用意しておいた。とりあえず最低限はある。必要なものがあったら言えばいい。荷物は明日にでもまとめて持ってこい」
 矢継ぎ早に述べられた言葉は、ちっとも理解できなかった。
 というか私の声を遮って、このひとは一体何を言ったのだ。

「あの、すみません」
「不服なのは結構。お互いさまで何よりだ。まあ一ヶ月もしたら両親も飽きる……」
「いえ、あのすみません!」
 このままでは埒があかない。そう判断したし、どうやら彼はひとの話を聞くということがわからないらしいので、もう思いきることにした。
「一体、なんの話をしていらっしゃるんですか」
 仕事上は上司だとか、会社にとってもお偉いさんだとか、それを慮る余裕はなさそうだった。いやなかった。
 正直、これ以上伊堂寺さんのペースにのまれていたら、明日には私は返事すらできなくなっていそうだ。

「なんの、って。お前は俺の婚約者だろう」
「はい!?」
 なのに彼は私のほうがおかしいみたいな目つきで、ひどく不満そうに言ってくる。
 聞き間違いだと思いたかった単語をはっきりと。

「すみません、私はそんなこと一切知らないですし、身に覚えもありません」
「知らない? 両親から話は聞いていないのか」
「私にはその両親がおりませんが」
 これは確実に人違いじゃないだろうか。
 ということはなんだ、伊堂寺さんは相手の顔も知らず婚約を結んだのか。

「だがお前は鳴海製作所の野崎に間違いない」
「え、ああ。まあ確かに野崎ですけれど」
 そこまで言われて、はたと嫌な予感が脳裏をよぎった。
 もしやこの男は多大なる間違いを犯しているんじゃなかろうか。
 
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