過ちの契る向こうに咲く花は
「なんでしょうか」
 どうせ仕事場は一緒だから顔は合わせるし、何か昨日のフォローなり周りへの言い訳なり擦り合わせが必要だというならば、逃げる必要はないと思っていた。朝から相変わらずの無愛想面だけど、もうこのひとのデフォルトはこっちなんだろうと認識しておく。
「昨日のことだが」
 やはりそうか。と頷くと即座に次のことばが放たれた。

「お前でいい、俺の婚約者でいろ」
 瞬間、脳が理解を拒む。そして無駄に今のフレーズをリピートする。
 おまえでいい、おれのこんやくしゃでいろ。
 おまえでいい……こんやくしゃ……

「って、何言ってるんですか!?」
 三拍は間をおいて、ようやく口が開いた。
「うるさい。静かにしろ」
「いやいや、そう冷静に話ができる状況ですか?」
「お前は日本語が理解できないのか。ことばの通り受け取れ」
 さすがに、伊堂寺さんの思考が理解できなかった。代わりに状況を落ちついて整理する。

 そもそも、婚約者は野崎すみれさんだった。
 どうやらそれは、周りが決めたことで、伊堂寺さんは興味もないままだったらしい。
 そして昨日、私は諸々の理由で間違われる。でもそれは、間違いだと解決したはず。

 ならばここからは、普通はこうだ。
 伊堂寺さんは正しい婚約者と改めて対面し。
 私はただの部下として彼に接すればいい。
 よしんばもうすこしごたごたが続いたところで、結果的には私は何も関係がないはず。

 なのに。
 どうして私が婚約者でいろと言われなければならないのだろうか。普通婚約なんてものは両家の取り決めなり、当事者同士の契りなりで成立するものではないのか。
 私は一切、応じたつもりはないし、無関係の人間だ。
 そのうえなんだろう、その「お前でいい」の「で」っていうのは。

「いや、あの伊堂寺さん。あなた一体婚約をなんだと……」
 興味がないのはなんとなく理解している。しかしだからといって何故そこで別の人間を、しかも伊堂寺さんにもそのまた一族にもなんにも利益がなさそうな人間を選び直すのか。
「そもそも親がうるさく言い出しただけのことで、俺はどうでもいい」
「は……はあ?」
「野崎すみれだって、家が勝手に用意しただけだ」
「いや、だったら尚更、野崎すみれさんでないと……」
 おかしいでしょう。そう言いかけたところで、大きくため息をつかれた。
 
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